【生徒作品】『普通とはなにか』(新中2 N・Hくん)


リテラ言語技術教室では、生徒一人ひとりの興味・関心に基づいた学びの成果を、様々な方と分かち合う場として、年に一度、『生徒作品発表会』を開催しています。生徒たちは、発表会に向けた様々な準備を通して、実践的な発表の仕方を学んでいきます。

今回は、2019年3月に行われた「リテラ言語技術教室 生徒作品発表会」より、新中2 N・Hくん『普通とはなにか』を掲載致します。

ガリヴァー旅行記を読んで、「普通」とは何だろうと疑問を感じたNくん。今回の研究では、「普通」の作られ方について、「普通」を疑うことの大切さについて学んでいきました。

その他の発表動画は、「2019年3月 生徒作品発表会 発表動画一覧」をご覧ください。

作品について

講師からのコメント

自分は「普通」だと思っていても、実はそれぞれ、違いがあるのですね。その違いをなくすのではなく、認め合うところから、よい関係が始まっていくのかもしれません。これからも、価値観について、一緒に考えていきましょう。

本人の振り返り

これはどのような作品ですか?
普通とは何なのか、について考える作品です。
どうしてこの作品をつくりたかったのですか?
ガリヴァー旅行記を読んで、ガリヴァーが訪れる場所によって、「普通」が違うのが、面白かったからです。
作品づくりで楽しかったことは何ですか?
国によって驚くほど文化が違ったことです。
作品づくりで難しかったことは何ですか?
「隠れたカリキュラム」の部分など、評論文や新書を読んで調べたことを、文章にまとめるのが難しかったです。
作品作りを通して学んだことは何ですか?
人によって、普通は異なるということです。だから、他の人の価値観を大事にしたいと思いました。
次に活かしたいことや、気をつけたいことはありますか?
研究に関する情報を早く集めたいです。なぜなら、情報集めに時間がかかって、文章の作成が急ぎ足になってしまったからです。
来年、研究したいことはありますか?
前回は、『レ・ミゼラブル』を読んで、フランス革命について調べ、今回は、『ガリヴァー旅行記』を読んで、普通について調べたので、今年読んで面白かった本の中からテーマを探したいです。
この作品を読んでくれた人に一言
読んでくださって、ありがとうございます。

生徒作品

新中2 N・Hくん『普通とはなにか』

皆さんは、『ガリヴァー』を知っていますか。ガリヴァーは、巨人のことではなく、ジョナサン・スウィフトの著書『ガリヴァー旅行記』の主人公で、普通の人間です。この物語は、主人公のガリヴァーが、船に乗るたびに難破し、小人の国や馬の国などにたどり着き、小人や、馬などの文化に触れていくお話です。

この本の面白いところは、小人が変な習慣を持っていたり、ガリヴァーが旅先から帰ってきた時、旅先で身につけた習慣や価値観などで、周りの人間を小人に接するように見下ろしたり、身の回りのものを小さいと笑ったりするところです。この本では、小人にとって普通なことが、ガリヴァーにとっては普通ではなかったり、逆に、ガリヴァーにとっては普通なことが、小人にとっては、普通じゃなかったりします。僕は、「普通」とはいったい何なのかについて、考えてみることにしました。

まず、文化によって、「普通」はかなり異なることが、わかりました。例えば、ユダヤの人々は、牛肉と牛乳を同じ冷蔵庫に入れません。これは、旧約聖書に由来します。また、イスラム圏では、頭は神聖な場所とされているので、子どもの頭をなでるのは、タブーです。タンザニアでは、食事などに招かれたとき、早くいくのは主催者を侮辱する意味になり、失礼に当たります。

私たちからすると、おかしいと思える習慣やこだわりかもしれませんが、その文化の人々にとっては、大切な習慣です。もし、他の人が、それと違う行動を取ると、よく思わなかったりもします。霊長類学者の正高信男さんは、「人類は、同じ行動パターンをする者に連帯感を抱き、かつ、違う行動パターンをやって見せる者には、敵対感情を抱くように、心が形作られたのである」と、述べています。このような、価値観を共有する人物に対する連帯意識や、違う価値観を持つ人物に対する敵対感情は、一つの集団のまとまりを強くしますが、その集団の常識から外れた、異なる習慣を持つ人物を、無意識のうちに排除しようとすることにもつながります。

ほとんどの人は、敵対感情を良くないと思うだろうし、僕もそう思います。しかし、私達は、普段は、価値観が作り出す連帯感や敵対感情を、そこまで意識していません。社会に対する固定観念を植え付ける、公教育の課程を、苅谷剛彦さんは、「隠れたカリキュラム」と読んでます。「隠れたカリキュラム」によって知らず知らずのうちに「当たり前」として刷り込まれた観念は、最終的には、疑うことすらできなくなります。例えば、学校などでは、年齢でクラスを決めますが、絶対に年齢で区切らなければいけない理由はありません。しかし、それは、あたり前のこととして、学校生活に自然に入り込んでいます。その他にも、学校で、水筒にジュースを入れてきてはいけないなど、理由はよくわからないのに、当たり前として疑わないものは、たくさんあります。「隠れたカリキュラム」は、無意識のうちに刷り込まれ、無意識のうちに現実の捉え方を決めるものです。
しかし、意識して、疑問を持てば、「隠れたカリキュラム」を見つけられます。「隠れたカリキュラムを発見することは、このような、私たちと世界との関係のあり方が、知らず知らずのうちに、どのように維持されているのかに目を向けることになるのです」と、苅谷剛彦さんは、述べています。

今、私たちが生きている社会でも、普通は変化していきます。たとえば、女性の自立についてです。結婚した女性が仕事を続けることに賛成する男性の割合は、昭和47年の、9.7%に比べて、平成19年は、40.9%と、増加しています。このように、昭和47年には、女性が、子供ができても働き続けるというのは、非常識なことでしたが、今では、常識になりつつあるのです。また、LGBTの問題です。LGBTとは、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの頭文字を並べた略称です。日本労働組合総連合会の2016年の調査によると、LGBTという言葉の認知度は、50代の39.2%に比べて、20代は54.8%と、常識的に知っているものに変わってきています。また、若い世代ほど、LGBTの人に対する抵抗感が低いことが、明らかになっています。このように、昔は、LGBTという言葉は、あまり知られていないものでしたが、今では、若者の半分以上の人が知っている言葉になっています。

文化を尊重することと、常識だと思っていることを疑ってみることは、両方大事です。この二つを両立するには、物事を、受け入れた上で、考えることが必要です。それは、意識しないと難しいかもしれません。すなわち、自分の考え方や筋道を意識し、自分なりの価値観をつくっていくことが大切なのです。僕は、物事を受け入れた上で、その本当の理由や、それが正しいのかを、ちゃんと考えてみたいです。

これで発表を終わります。聞いてくださって、ありがとうございました。

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カテゴリー: 生徒作品

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