『信じる者は、どの程度救われるのか』(新高2 N・H君)


リテラ言語技術教室では、生徒一人ひとりの興味・関心に基づいた学びの成果を、様々な方と分かち合う場として、年に一度、『生徒作品発表会』を開催しています。

今回は、『信じる者は、どの程度救われるのか』(新高2 N・H君)を掲載致します。

例年、人の心理について研究してきたHくん。今回は、宗教という難しいテーマに、正面から向き合うことができました。私たちが、迷いの中を生きようと決めたとき、自分にとって大切なものが見えてくるのかもしれませんね。

その他の発表動画は、「2022年 生徒作品発表」をご覧ください。

作品について

本人の振り返り

これはどのような作品ですか?
宗教でメンタルを守ります。
どうしてこの作品をつくりたかったのですか?
信じるという行為について調べたいと思いました。結果的に宗教の話になりました。
作品づくりで楽しかったことは何ですか?
資料集め。
作品づくりで難しかったことは何ですか?
結論。
作品作りを通して学んだことは何ですか?
何を信じるかよりどう信じるかを大事にしたいと思いました。
次に活かしたいことや、気をつけたいことはありますか?
資料集め。
来年、研究したいことはありますか?
ポルターガイストか、受験か、虫嫌い。
この作品を読んでくれた人に一言
ありがとうございます。お疲れ様でした。

生徒作品

『信じる者は、どの程度救われるのか』(新高2 N・H君)

私は、ふとしたときに、いつか死ぬということが、怖くなりました。そんな時に、その不安を和らげてくれたのは、私の中に漠然と存在していた神様の存在でした。私は、特定の宗教を信仰しておらず、今言った神様というのも、特定の神様を指すものではありませんでしたが、私の持っていた不安は、間違いなく軽減されました。
そのような体験について、実際にそれぞれの教義や、明確に信仰すべき神様を持っている宗教では、神様の存在が救いになるのかを調べてみたいと思いました。

宗教的な手段で、現実の問題に対処しようと試みることを、「宗教的コーピング」といいます。たとえば、祈りや教会への参加などを通し、人生の意味を問い直したり、自らの心をコントロールしたり、慰めを得たりすることなどがそれに当たります。
これまでの研究によって、宗教はさまざまな現実的な問題に対して影響力を持つことがわかっています。

たとえば、2001年、Tepper(テッパー)らは、宗教的コーピングが使用された年数が多く、費やされた時間の割合が大きいほど、メンタルヘルスが良好であることを発見しました。

また、2003年、Huang(ファン)は、ユーゴスラヴィア紛争時にコソボとボスニアから脱出したイスラム教徒について調べ、積極的な宗教的コーピングが、より高い楽観主義と教育に関連していることを発見しました。

さらに、宗教研究の論文の動向をまとめた資料によると、西洋では、宗教的なコミュニティや、信仰自体が、癒しの力を持つという調査結果があります。特に、失業や差別などの状況においては、信仰は、日常における人々との関わりよりも、強く心に働きかけます。

また、老年期において、信仰に基づいて他者を許すことは、心の充足感につながるという調査結果もあります。このように、宗教的コーピングの実践によって、特に、精神的に良い効果を得られることが分かっています。

しかし、宗教的なコーピングが、むしろネガティブな影響を及ぼすこともあります。2001年、パルガメントらは、二年間を費やし、宗教的コーピングが、患者の死亡率にどう影響するかをテストしました。

その結果、自分が神に捨てられたと考え、神の愛とケアに疑問を抱いたり、病気に悪魔が関わっていると考えたりといったネガティブな宗教的コーピングは、2年間での死亡リスクを19~28%と、大幅に高めることが判明しました。

他にも、イスラム教についての研究では、強い宗教的葛藤をもつことは、怒りや落ち込んだ気分などのネガティヴな結果を引き起こし、他者との肯定的な関係や、人生の目的を得るというような、ポジティヴな効果を弱めてしまうことが分かっています。その理由について、研究者は、宗教的葛藤、特に、神の存在や来世についての疑念が、イスラム社会では受け入れられないためであると仮定しました。
宗教的な疑いを持っているイスラム教徒は、疎外感や孤独感を経験する可能性があり、それが、抑うつや怒りの感情につながる可能性があると考えたのです。

ここまでは、主にキリスト教徒やイスラム教徒を対象にした調査結果についてお話しましたので、今度は、我々に身近な、東洋特有の事情についてお話しします。

キリスト教やイスラム教のような宗教が信じられる地域では、宗教的な組織やコミュニティが形成されますが、日本や中国などのように、民間信仰が盛んな地域では、宗教的なコミュニティはあまり形成されず、宗教的コーピングも、西洋のそれとは違ったものとなっています。

2013年、Wei(ウェイ)と Liu(リュウ)によって、中国農村部で行われた調査によると、宗教的な習慣を徹底する層と全くしない層での抑うつ傾向は低いものの、中途半端に実践する層では、高くなっていることがわかりました。

他にも、主にアジアで信仰されるような、運命論的な教えを内包する宗教は、人生に対する諦念、すなわち、あきらめの気持ちを高めてしまうこともあるそうです。

信仰に対する態度でも違いが出てきます。
渡辺、黒崎、弓山による2011年の調査によると、神様を人格として敬う素朴な信仰は幸福度を高め、神様をシステムとしてみなすような思想は幸福度を下げるそうです。

今までお話した宗教的コーピングの効果により強く影響するのは、どの宗教に属しているかや、どのような宗教的な儀式を行うかではなく、一人ひとりがどのように信仰と向き合うかだといわれています。
コーピングという観点から、より重要なのは、例えば毎週礼拝に行くことよりも、その一回一回の礼拝に、どのように向き合うかだといえます。

また、宗教的コーピングは、日々の生活があって、始めて生まれ出るものだと言われており、日常とは切っても切れない、深い関係にあります。たとえば、前述した、西洋における宗教的コミュニティもその一例です。
目に見えるようなご利益はなくても、宗教によって生み出される日々の小さな幸福や安心感、宗教が架け橋となる人とのつながりに救われた人は、世の中に沢山いるのではないでしょうか。

私たちは誰しも実存的不安というものを抱えているといわれています。実存的不安とは、死、無意味であること、罪悪感、社会的孤立等、アイデンティティに関わる不安です。
この、生きている限りつきまとう、実体のない不安を解決しようとする時、私たちが存在する理由となる、神という絶対的な存在を思い描かずにはいられません。
どれだけ科学が進歩しても宗教がなくならないことは、私達が逃れられない不安とともに生きている限り、必然であるといえるでしょう。

先に述べた通り、宗教的コーピングがもたらす結果は、必ずしもいい影響をもたらすわけではありません。ネガティヴな結果をもたらすこともある以上、信じるだけで救いがあるとまでは、簡単に言えません。

しかし宗教は、つらい状況下で前向きになる力をくれたり、信心に基づく幸福や充足感をもたらしてくれたりもします。
あくまで、自分の人生は自分で切り開いて行くのだということを忘れず、日々、目の前の苦しみや幸せに向き合える人に、宗教は力を貸してくれると思います。

これで発表を終わります。
聞いていただいて、ありがとうございました。

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  • Pargament, K. I., & Raiya, H. A. (2007). A decade of research on the psychology of religion and coping: Things we assumed and lessons we learned. Psyke & Logos, 28(2), 742–766.
  • 櫻井義秀(2017).人は宗教で幸せになれるのか:ウェル・ビーイングと宗教の分析.理論と方法 32巻1号 数理社会学会
カテゴリー: 生徒作品

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