リテラでは、生徒一人ひとりの興味・関心に基づいた学びの成果を、様々な方と分かち合う場として、年に一度、『生徒作品発表会』を開催しています。
今回は、『キャラとキャラクターについて』(A・Mさん 新中1)を掲載致します。
オリジナルキャラクターを考えるのが大好きな小学6年生のAさん。キャラクター作りを通して、自らの心の中にも様々な感情やキャラクターがいることに気づきます。そして、「隠キャ」や「陽キャ」のように人をキャラ化することに疑問を持つようになり、研究のテーマにしました。
作品について
本人の振り返り
- これはどのような作品ですか?
- 「キャラ」と「キャラクター」の違い、キャラ化の危険性についてまとめた作品です。
- どうしてこの作品をつくりたかったのですか?
- クラスメイトが「陰キャ」と「陽キャ」みたいに、2つの性格に分けていたからです。なぜそのようなことをするのか、また良くないことではないかと考えました。
- 作品づくりで楽しかったことは何ですか?
- キャラ化の意味を知ることや、オリジナルキャラクター作りです。
- 作品づくりや発表で難しかったことは何ですか?
- 陰キャと陽キャについて調べることです。また、それを伝えることです。
- 作品作りを通して学んだことは何ですか?
- キャラ化してはいけないこと、また、性格は陰キャと陽キャの2つではないこと、キャラ化の危険性についてです。
- 次に活かしたいことや、気をつけたいことはありますか?
- 発表で、身振り手振りをもっとつけることです。
- この作品を読んでくれた人に一言
- できるだけ友達や自分のことをキャラ化したり、陰キャと陽キャでわけないでください。
生徒作品
『キャラとキャラクターについて』(A・Mさん 新中1)
この子は「あーこ」です! 性格は怒りっぽくて、おおざっぱだけど明るくて、人を笑わせることが大好きです。口癖は「イェーイ」と「あはっ!」です。夢は建築士になることです。皆さん、もうお分かりですか? そう! 私でーす! あーこは、私をモデルにして作ったキャラクターです!
他にも、たくさんのキャラクターがいます。この子たちは、代表キャラクターの「タコプー」と「タコマン一世」です。姿だけでなく、好きなこと、嫌いなこと、性格なども考えています。私はキャラクターづくりが大好きです。その気になれば、いくらでも作り出すことができます。アイデアがつながって、次々に生まれてくる感じです。今回、私はキャラクター作りを通して、性格について研究をしてみたいと思いました。
私の作るキャラクターの中には、自分の分身のような性格の子もいれば、全く別人の子もいます。また、キャラクターの性格には、ポジティブな面と、ネガティブな面があることに気づきました。たとえば、あー子の性格のポジティブな面は、明るくて、人を笑わせることが大好きなことです。ネガティブな面は、怒りっぽくて、おおざっぱなところです。ところが、ポジティブな面も、ネガティブになるときがあります。たとえば、友達が落ち込んでいるときに、自分のテンションを押しつけて、友達をイライラさせてしまうかもしれません。逆に怒りっぽいのは、情熱的で、こだわりがあるとも言えますし、おおざっぱは、早く作業を終わらせて次に進むことができるとも言えます。つまり、性格のポジティブやネガティブは、どちらの特徴にもなるのです。
ここで、皆さんは「陰キャ」と「陽キャ」という言葉を聞いたことがありますか? 私は、キャラクターや性格について考えるようになって、この言葉に疑問を持つようになりました。あるとき、クラスメイトが「あいつ陰キャだよな」と言っていました。あまりしゃべらない子のことや、休み時間静かにしている子のことを、からかうような言い方でした。私も静かに本を読んだり、絵を描いたりするのが好きで、その時は「陰キャ」と言われるかもしれません。しかし、私は「陰キャ」なのでしょうか。鬼ごっこしているときは、明るくて元気な「陽キャ」だし、家族からも、「○○はアホなことして、面白いね!」と言われます。自分の中に「陰キャ」と「陽キャ」の両方があり、また、家族や友達にもあるように感じます。つまり、人のことを「陰キャ」と「陽キャ」のどちらかに分けることは出来ないのです!!
ところが、私のクラスメイトのように「陰キャ」と「陽キャ」のどちらかに分けようとする人がいます。いろいろな性格を持っている人のことを、「陰キャ」と「陽キャ」のように、一つの特徴だけで決めつけてしまうことを「キャラ化」と言います。そして、そのキャラ化はとても危険なことなのです。思春期・青年期の心について研究している齋藤環さんが『キャラ化する若者たち』という評論文で、決められたキャラを演じ続けると、そのキャラが定着し、自分も相手も成長しなくなってしまうと、キャラ化の危険性について述べていました。
では、なぜ「キャラ化」をしてしまうのでしょうか? いろいろな性格や感情を持った人間同士がコミュニケーションを取るのは大変なことです。嫌われたらどうしよう、馬鹿にされたらどうしよう、怒らせたくないな、など、不安な気持ちになることもあります。どう接していいのか分からないとき、相手のことも、自分のことも「キャラ化」してしまえば、そのキャラに沿って振る舞ったり、発言すればよくなるので、コミュニケーションが楽になります。そして、相手のことも、自分のことも分かったつもりになってしまうので「自分ってなんだろう」とか「相手はどんな気持ちなんだろう」とか、考えなくなり、成長ができなくなってしまうのです。
私は、自分が「キャラ化」しないと不安かどうか、考えてみました。答えは、「キャラ化」した方が不安だなと思いました。なぜなら、この研究を通して、一人一人の中に、たくさんの性格があることを知り、その中のひとつに決めてしまうと、自分の成長のさまたげになってしまうとことが分かったからです。コミュニケーションは確かに難しいです。だから、「キャラ化」したくなる気持ちも分かります。でも、自分の成長のためにも、相手の成長のためにも「陰キャ」と「陽キャ」のようにキャラ化しないでください。私はみんなに、ありのままの自分でいてほしいと思っています。もし、私の友達が、「キャラ化」されて困っていたり、自分で「キャラ化」したりしていたら、その友達のキャラクターを描いてあげたいと思います。見た目だけではなく、心まで!!
これで、発表を終わります。ありがとうございました。
- 斎藤環(2011). キャラ化する若者たち ちくま評論選 二訂版. (pp. 18-22)筑摩書房