リテラでは、生徒一人ひとりの興味・関心に基づいた学びの成果を、様々な方と分かち合う場として、年に一度、『生徒作品発表会』を開催しています。
今回は、『不安と向き合う』(M・Hさん 新小6)を掲載致します。
新型コロナウィルスの感染が広がる今の社会で、私達はどのように考え、日々を過ごすべきなのでしょうか。Mさんは、科学と物語という軸から、この問題に向き合いました。
作品について
本人の振り返り
- これはどのような作品ですか?
- 新型コロナウイルスによる不安に、私達はどのように向き合っていくべきなのかを考えた作品です。
- どうしてこの作品をつくりたかったのですか?
- コロナウイルスを、私も不安に思うからです。
- 作品づくりで楽しかったことは何ですか?
- ペストとコロナウィルスの社会情勢が同じだったことが興味深かったです。また、五味淵医師の記録がとても心に残っています。
- 作品作りを通して学んだことは何ですか?
- 心の軸というものは目に見えないけれども、大切で、信念にもつながることです。
- 次に活かしたいことや、気をつけたいことはありますか?
- 不安を積もらせないことです。
- 来年、研究したいことはありますか?
- 2020年の研究テーマだった「堆肥」の第2弾に挑戦したい!
- この作品を読んでくれた人に一言
- 皆さんもコミュニケーションなどを活用して、不安との向き合い方を見つけてみてください。
生徒作品
『不安と向き合う』(M・Hさん 新小6)
今、世界中に、新型コロナウィルスの感染が広がっています。新型コロナウィルスは、飛沫や接触で感染するため、私たちは「感染するのではないか?」という不安を常に抱きながら生活しています。私も、不安に思いながら、日々を過ごしています。その中で、自分の中にある不安をどうすればよいのかと、思うようになりました。そこで、今回の研究では、私達は、このコロナの不安と、どのように向き合っていくべきなのか、考えました。
まず、不安を抑えることはできないし、してはいけません。不安を抑えてしまうと、正常化バイアスがかかってしまいます。正常化バイアスとは「自分だけは安全だ」と信じ込んでしまうことです。具体的な例として、東日本大震災の時に、津波への不安から「正常化バイアス」がかかり、自分のところまでは津波は来ないだろうと思い込んでしまったことがありました。不安を無視してしまうと、それに対処できなくなってしまいます。つまり、危険から遠ざかることができず、結果的に、危険を回避することができなくなってしまうのです。
一方、不安に飲み込まれてもいけません。不安に飲み込まれると、抑うつと言って、気分がふさぎ込んでしまう事があります。さらに、抑うつから、家に引きこもってしまい、より絶望感を強くしてしまいます。また、不安に飲み込まれてしまうと、「自己責任論」に走ってしまいます。例えば、「感染したのは予防を怠ったからだ」と、感染した人を責めてしまいます。コロナ禍でも、自粛をしていない店の営業を妨害するためにガラスを割ったり、SNSで過剰な批判を行ってしまう事がありました。また、自分を責めてしまう場合もあります。自分を責めてしまうと、先程述べた、抑うつにつながってしまいます。
この様な不安と向き合うには、どうしたらよいのでしょうか。私は、「心の軸」が必要だと思います。では、その心の軸とはなんでしょうか? それは「科学」と「物語」です。まず「科学の軸」とは、手洗い・うがい、ワクチン接種など、予防に関する適切な対処を行うことです。これは、社会全体から見た「マクロの視点」とも言えます。しかし、それだけでは不安は解消しません。逆に、感染者数や、コロナ関連での失業者数などの統計データの変化を見て一喜一憂することは、長期的に、より不安を煽ることになります。そこで、重要になるのが「物語の軸」です。物語の軸とは、一人ひとりの人生のことです。科学に対して、一人ひとりの「ミクロの視点」とも言えます。
なぜ、一人ひとりの物語は、不安に向き合うために大切なのでしょうか。ストレスに対処する行動を、ストレス・コーピングと言います。ストレス・コーピングは、問題焦点型コーピングと、情動焦点型コーピングに分かれます。問題焦点型コーピングは、問題そのものに対処しようとします。これは、科学の軸に相当します。一方、情動焦点型コーピングは、ストレスによって発生した不快な感情や体の緊張を鎮めるための行動を行うことです。具体的には、自分の趣味に没頭して気晴らしをしたり、家族に話を聞いてもらったりと、自分の物語を良い方向に考えるきっかけを与えてくれる行動をとることです。特に、コミュニケーションは、不安を解消するために役立ちます。人とコミュニケーションをとることで「一人ではない」という心強い気持ちになります。また、自分の話を聞いてもらうことで「自分を理解してもらえた。気持ちをわかってもらえた。」と安心することが出来ます。
マクロの視点を持つための「科学の軸」、ミクロの視点を持つための「物語の軸」、この両方が不安を解消するためには必要なのです。
ここで、科学と物語を繋いだ人の記録を紹介します。みなさんは、スペイン風邪と戦った医師、五味淵伊次郎をご存知でしょうか。彼は、栃木県矢板村の開業医でした。1918年9月、スペイン風邪が日本に上陸し、その1ヶ月後の10月、次々と農村部の人々が感染しました。五味淵は一人、未知の病に奮闘するものの、感染者は命を落としていきました。そして、五味淵の家で働く15歳の少女が発病し、あっという間に危篤状態となりました。スペイン風邪とジフテリアの症状が似ていたので、ジフテリア血清を投与しようとしましたが「動物試験のようなことを15歳の少女にできない」とためらいます。そんな中、その少女は息を引き取りました。その後、妹が血痰を吐き、発病します。五味淵は今度はジフテリア血清を投与します。すると、妹は、呼吸、脈拍、体温が落ち着きました。次に、五味淵は、自分自身にジフテリア血清を投与します。そして、効果を確信して、村人99人に血清を214回注射しました。五味淵はこのすべてを記録し、全国の医師に役立ててほしいと「世界的流行性感冒の見聞録」を作成しました。その中に15歳の少女に対して「ジフテリア血清を試みなかったことを憾む」と、自分の悔やむ心を記録しています。五味淵の記録は、医者自身が記録した手記として唯一現存する貴重なものであると同時に、一人の人間としての苦しみや情熱が残されたものでもあります。わたしは、この五味淵の記録を知った時、その心が重なったように感じました。
このコロナ禍において、一人一人が科学的思想を持ち、目の前にいる人を守りたい、救いたいと願う情熱を持つ必要があります。そして、その情熱が、人々の持っている不安を越えていく力となるのです。教育のために立ち上がり、武装勢力の脅威にも屈せず、教育の大切さを訴え続けるマララさんの手記。環境サミットで「直し方がわからないのにこれ以上この星を壊さないで」とスピーチをしたセヴァン・スズキさん。第二次世界大戦中に迫害された日々を日記にしたアンネ・フランクさん。大きな社会的問題と向き合いながら、自らの思いを伝えています。そして、語り継がれ、時代を越えて、今の私たちの心と繋がるのです。私達は、一人ではないのです。科学による「マクロの統計」は、多様な現実の一側面です。多様な現実を作り上げている一人一人の心と生活、すなわち「ミクロの物語」を読み解き、重ね合わせていくことが、「見えない恐怖」を乗り越えるために必要とされています。ぜひみなさんも、不安があれば周りの人に相談してください。また、相談されたら、自分の気持ちと重ね合わせて、話し合ってみてください。
これで発表を終わります。聞いてくださって、ありがとうございました。
- 木村直之(編)(2020). 60分でわかる新型コロナ 新型コロナ徹底解説 ニュートンプレス, 40(15)
- 福田伊佐央(編)(2021). 特集:「コロナ時代」の心理学 / 冬こそ警戒 新型コロナ ニュートンプレス, 41(1), 16-81