【生徒作品】『科学技術の力とリスク』(新高2 Y・Tさん)


リテラでは、生徒一人ひとりの興味・関心に基づいた学びの成果を、様々な方と分かち合う場として、年に一度、『生徒作品発表会』を開催しています。生徒たちは、発表会に向けた様々な準備を通して、実践的な発表の仕方を学んでいきます。

今回は、2019年3月に行われた「リテラ 生徒作品発表会」より、新高2 Y・Tさん『科学技術の力とリスク』を掲載致します。

4年生の頃、震災のあった宮城県に行き、時間が経っても癒やされない津波の被害を目の当たりにしたYさん。ずっと考え続けてきた科学技術との向き合い方について、まとめました。

その他の発表動画は、「2019年3月 生徒作品発表会 発表動画一覧」をご覧ください。

作品について

講師からのコメント

科学技術に対して危機感を覚えても、手放すことができない。小さい頃から抱いていた葛藤を研究のテーマに選び、半年間、この答えのない問いを考え続けてきました。将来は、悩みを抱える人の手助けをしていきたいと願うYさん。今回の研究で学んだことが役立つ日が、必ず訪れると思います。

本人の振り返り

これはどのような作品ですか?
大きな力とリスクの両面を持った科学技術を利用するにあたって、正しい知識と判断、個人の価値観が大切であることを伝える作品です。
どうしてこの作品をつくりたかったのですか?
人間は科学技術の恩恵を受けて生活していますが、一方でそれらによる事故が起き命が奪われてしまうこともあり、どのようにして科学技術と向き合っていくべきか考えたかったからです。
作品づくりで楽しかったことは何ですか?
学校の授業で扱った本が、自分の研究テーマとつながったことです。
作品づくりで難しかったことは何ですか?
様々な具体例を最終的に一つにまとめ、価値観の提示をすることです。
作品作りを通して学んだことは何ですか?
本当に大切なのは「社会での自分の生き方について考えること」だということです。
次に活かしたいことや、気をつけたいことはありますか?
次はもっとジェスチャーを取り入れ、さらに聞き手がプレゼンに引き込まれるような発表をしていきたいです。
来年、研究したいことはありますか?
人の心に関する研究がしたいです。
この作品を読んでくれた人に一言
身の回りの科学技術に少しでも関心を寄せ、今私達に何ができるのか考えてもらえたら嬉しいです。

生徒作品

新高2 Y・Tさん 『科学技術の力とリスク』

現代の社会は、科学技術の発達により、便利で豊かな暮らしができていることは、言うまでもありません。身の回りを見渡しても、どれだけ私たちが科学技術の恩恵を受けているか、数え始めたらきりがありません。しかし、私たちに恩恵を与えてくれる科学技術が、一方で、地球の資源を枯渇させ、環境を破壊し、多くの生命の絶滅を引き起こしています。そして、私たち人間も、その危機にさらされています。

科学技術とは、何なのでしょうか?まずは、科学について、考えてみましょう。科学とは、辞書には「万人が納得できる普遍的且つ客観的な自然の法則」とあります。自然界の様々現象を、科学者や数学者が観察と、研究により解き明かしてきたもの。純粋な好奇心から生まれた知恵と言えます。そして、技術とは、「自然界には存在しないものを人為的に作り出すこと」と、あります。人々が、目的を達成する手段として用いる物を、技術が作り出す、と言えます。ここからわかるように、実は、「科学」と「技術」は、全くの別物なのです。その二つを掛け合わせた「科学技術」は、「自然現象における科学を応用し、人間の生活に活かすこと」と、定義されています。

しかし、冒頭でお話ししたように、科学技術は、私たちの生活を豊かにする「力」と、「リスク」の、両方を持っています。これらを踏まえて、科学技術との向き合い方について、話していきます。みなさんは、「フランケンシュタイン」という物語を、ご存じですか? 恐ろしい怪物が出てくるホラー映画のイメージがあるかと思います。そして、怪物のことを、フランケンシュタインだと思っている方も、多くいらっしゃるかと思います。実は、フランケンシュタインは、「怪物」を作った大学生の名前で、恐ろしい怪物には、名前はないのです。この作品は、19世紀初頭に、イギリス人のメアリー・シェリーが、18歳の若さで書き上げました。主人公ヴィクター・フランケンシュタインは、子どもの頃から科学に興味を持ち、好奇心の赴くまま、自然や生命について、学び続けていきました。ところが、大学生になったヴィクターは、有名になりたい、認められたいという、己の欲望を満たすため、生命の謎を解き明かし「人造人間」を造ります。しかし、醜い姿の怪物を恐れ、見捨ててしまいます。怪物は、高い知性と、感情を持ちながらも、誰からも認められず、憎しみから人間を殺め、生みの親であるヴィクターへの復讐を誓います。実は、この物語の副題には、「現代のプロメテウス」とあります。プロメテウスとは、天の火を盗み、人類に与えたことで罰せられてしまった、ギリシャ神話の神のことです。この火により、人間たちは、健やかな暮らしができるようになり、文明社会を築いていきます。しかし、火は恩恵ばかりではなく、人々の争いを増長する兵器に、姿を変えていきました。善意による行いが、誤った扱いをしたために、悪い方向に進んでしまったのです。そして、この「怪物」と「火」こそが、現代の科学技術を象徴しています。

「怪物」と「火」から連想する科学技術といえば、原子力発電ではないでしょうか。原子力発電とは、核の分裂により、巨大なエネルギーを引き出し、電力を作りだす技術です。電力は、私たちの生活と切り離すことはできないものです。その電力を生み出すのに、二酸化炭素を排出しないのは、とても大きなメリットです。全世界で地球温暖化が問題視されている中で、原子力発電は、画期的な発電方法でした。しかし、大量の水を必要とするため、海の近くに建設せざるを得ません。2011年の東日本大震災では、福島県にある原子力発電所が、津波により、甚大な被害を受けました。また、放射性物質が人体に悪影響を及ぼす危険性があるため、事故が起こった時には、容易に近づくことができません。このようなリスクを背負いながらも、私たちは、原子力発電によって生み出された電力を使って、生活しています。事故当初、私は、事故に対して「想定外だった」といった発電所の技術者や、会社の責任者の発言に、疑念と憤りを感じました。科学技術そのものへの嫌悪感すら、感じていました。しかし、原子力発電の恩恵を受けながら生きていくことへの葛藤を抱きながらも、原子力発電について学ぶことで、技術によって叶えたかった理想の社会があったことに気づくことができました。福島の事故は、失うものが多かったのは、確かなことです。しかし、そのことによって、原子力発電や、科学者、技術者を非難することは、フェアではありません。なぜなら、原発を作ったのは政治であり、その政治を担っているのは私たち国民であり、恩恵を受けているのもまた、私たちだからです。

もう一つは、ゲノム編集の技術です。品種改良による食糧生産技術の向上は、多くの人を飢餓から救い、遺伝子技術を応用した医療技術の発展は、不治の病といわれていた難病の治療を実現してきました。これらの技術を、私たちは受け入れながらも、人間の誕生に関わる部分での使用に対しては、危機感や不安感を抱き続けてきました。そして、昨年、中国では、遺伝子を操作された双子の「デザイナーズベイビー」が誕生しました。現段階で、デザイナーズベイビーを誕生させることは、十分に可能です。つまり、私たちは、この技術を使うという選択をすることができるのです。しかし、そのリスクを、私たちは、十分に知っているでしょうか。未知の遺伝子疾患、デザイナーズベイビーに対する差別、命の軽視など、これ以外にも、多くのリスクがあるでしょう。命を操作されても、その人生を生きるのは、子ども自身です。決して、フランケンシュタインの生み出した「怪物」と、同じ道を歩ませてはいけないのです。

私は、小学校四年生の時、両親とともに、震災から1年半経った宮城県に行きました。津波の被害に遭った海岸近くのホテルや駅が、そのまま残っていて、私の想像をはるかに超える光景が広がっていました。この時、「間接的に映像を見て知ること」と、「実際に、その場に行って体感すること」では、物事の理解の深さ、強さが、全く違うことに気づきました。そして、津波と、それが引き起こした原発事故の被害に対して、「自分は関係ない」という思いはなくなり、科学技術との向き合い方を考えるようになりました。

科学技術を使うかどうかの判断には、まず、正しい知識が必要です。そして、決断は、一人ひとりの価値観によってなされます。価値観とは、生き方そのものと言っても、過言ではありません。だから、科学技術と向き合うことは、この社会での自分の生き方について考え、自らの意思で決めていくこととも言えるのです。科学技術には、力とリスクがあります。それは、まるで、子どものようなものだと私は思います。将来、さらに発展していく科学技術を、「怪物」にしないように、社会の手で育てていきましょう。

聞いていただき、ありがとうございました。

この記事を書いた人: リテラ「考える」国語の教室

東京北千住の小さな作文教室です。「すべて子どもたちが、それぞれの人生の物語を生きていく力を身につけてほしい」と願いながら、「読む・書く・考える・対話する」力を育む独自の授業を、一人ひとりに合わせてデザインしています。

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カテゴリー: 生徒作品

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