今年の4月に中学生になったばかりのNさんは、様々なことに興味を持ち、瑞々しい感性でその本質を汲み取ることができる利発な女の子です。
受験も無事終わり、「何を書きたい?」と聞いたところ、まっさきに挙がったのが、「ペトリューシュカ」というテーマでした。
「ペトリューシュカ」とは、20世紀を代表するロシアの音楽家イーゴリ・フョードロヴィチ・ストラヴィンスキー(Igor Fyodorovitch Stravinsky、1882年6月17日 – 1971年4月6日)が作曲した三大バレエ音楽の一つです。
自身もピアノを弾くNさんは、「ペトリューシュカ」を多くの人に紹介したいという目的と、「お母さんにペトリューシュカを弾く気になってもらいたい」という目的で、この作文を書きました。直接は関係のない話題を挟んだり、イラストを書いたりすることも、「読み手の興味を持続させる」という意図を持ってなされたものです。全体を見渡す冷静さを保ちながらも、素晴らしい集中力で一気に書き上げてくれました。
Nさんは、創作や意見文の作成などを同時並行で取り組んでいます。これからたくさんの作品を書き上げてくれるのを、楽しみにしています。
参考 ペトリューシュカ
http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=1KQWnjOGFzo
作品紹介
「ペトリューシュカ作文」
中1・Nさん
はじめに
私がペトリューシュカを知るきっかけとなったのはドラマ『のだめカンタービレ』(原作:二ノ宮知子)である。主人公の野田恵が、マラドーナピアノコンクールに出た時、この曲で大失敗をしてしまうのだ。その時は、のだめがやってしまった失敗が面白かったこともあり、楽しそうな曲だな、としか思っていなかった。しかし、ある時、この曲が入っているCDを見つけ、正しいペトリューシュカを聞いてみたところ、その複雑さと明るさにびっくりした。さすがに自分は弾くことはできないけれど、母ならきっと弾くことができると思った私は、母に頼み込んだ。しかし、母は「無理!」と即断。諦めた私はそれからペトリューシュカをすっかり忘れていた。ところが、この間ひょんなことでペトリューシュカを聴いた私は、再び虜になってしまった。受験も終わりちょっとは暇になったため、母に弾いてもらえるよう、説得の意味も込め、「ペトリューシュカ作文」を書こうと思う。
バレエでのストーリー
ペトリューシュカは、元々バレエの曲である。まずは、バレエ『ペトリューシュカ』のあらすじを紹介しようと思う。曲の出だしでは考えられない程暗く不幸な話だ。主人公のパペット(お人形)のペトルーシュカは、おがくずの体を持った藁人形である。ある日、命を吹きこまれたペトルーシュカは、バレリーナのパペットに恋をする。だが、人形であり、姿も滑稽であったため、バレリーナはふりむいてくれない。叶わぬ恋を追いかけ続ける悲しい話である。
なお、最後はペトルーシュカが死んで、亡霊となって出てくる。ホラーチックでグロテスクな部分があるため、1911年6月13日にパリシャトレ座で初演した時、少なからぬ聴衆は、この音楽に面食らった。ある評論家は、本稽古の後でロシア・バレエ団のディアギレフに詰め寄って、「招待されてこんなものを聴かされるとはね」と言ったところ、すぐに「ご愁傷様」と言い返されたという。1913年にディアギレフとロシア・バレエ団がウィーンを訪れた際、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は、当初『ペトルーシュカ』を上演することを渋って、この楽曲を「いかがわしい音楽」(“schmutzige Musik”)と呼んだ。それでもやはり多くの聴衆には好評だったようで、同じくロシア・バレエ団の芸術プロデューサーであるディアギレフから委嘱を受け作曲した初期の3作品(『火の鳥』、『ペトルーシュカ』、『春の祭典』)の公演は、三つとも大成功だったようだ。
作曲者ストラヴィンスキーについて
作者のストラヴィンスキーは、ロシア帝国オラニエンバウム(現・ロモノソフ)で1882年6月17日に生まれた。戦争の真っ最中に作曲活動をしていたため、ヒトラーに目をつけられていた(これは余談だが、ヒトラーはあんなに人を殺していたのにベジタリアンだったらしい)。ストラヴィンスキー自身の職業は作曲家・指揮者・ピアニスト・ボータルクラシック音楽などだ。様々な曲を作り、1971年4月6日にニューヨークで没した。ストラヴィンスキーの老いた時の横顔はマハトマ=ガンディーに似ている。4月6日は私がお世話になった先輩の誕生日。ついでに死没地は私の出身地。なんだか複雑な気分である。
(左・マハトマ=ガンディー 右・ストラヴィンスキー)
ペトルーシュカの曲について
ペトリューシュカは元々バレエのオーケストラを再現していることもあって、音が多く弾きにくい箇所が多く、演奏には高度な技巧が要求される。多くの箇所は3段譜で書かれており、曲中の一部では4段譜で書かれている箇所もある。特に3楽章における左手の人差し指と薬指・中指と小指によるトリルは、指の構造によっては演奏不可能ともいわれている。全体的に重音(複数の音を同時に発生させる演奏技法)の課題をいかにクリアするかが問題になることが多い。また非常に大胆な跳躍をする箇所も多く、体力的にも厳しい。重音を多用するため、腰や腕の関節など体に負担のかかる曲にもなっており、成長期の奏者は弾かない方がよいと指摘する者もいる。音楽は、ハ長調と嬰ヘ長調を組み合わせた、いわゆる「ペトルーシュカ和音」が特徴的であり、複調性によってタイトルロールの登場を予告する(参考:Wikipedia)。
精密なペトリューシュカを弾くには、まず手が大きいのが条件。1オクターブと3つ手が届かなくてはいけない。でもそんなに手が大きい人なんて稀なので、音をぬいて演奏するなどの工夫が必要とされる。次に、ハノンなどをやり込んで、手の動きが速く、かつ、一音一音が独立した演奏ができること。このようなことを知った途端に、私は何で母があんなにペトリューシュカを弾きたがらなかったのかが分かった。
最後に
私は、最初はこの曲をただ楽しそうな曲だな、としか思っていなかった。しかし、この文章を書くにあたりもう一度曲を真剣に聞いてみたり、バレエでのあらすじを調べてみたりしたら、かなり暗いところが多いことに気付いた。ロシア版ピノキオと言われることが多いらしいが、ピノキオみたいにおどけた雰囲気ではない。作者のストラヴィンスキーが戦争の時代を生きていたことが原因かもしれない。こういう状況の中で立派に生き抜き、素晴らしい作品を残したストラヴィンスキーのことを私は尊敬する。
私が好きな曲は他に「ラヴェル(ピアノ協奏曲ト長調)」がある。こちらも明暗がはっきりとしたメリハリのある曲だ。ペトリューシュカに似ている部分がいくつかある。もしかしたら私は、こういう系統の曲がすきなのかもしれない。
私は今、母より手が大きい。このまま順調に成長すればもしかしたら精密なペトリューシュカを弾ける日がくるかもしれない。
Nさんのお母様からいただいたコメント
娘のおかげで今まで知らなかった事に触れ、この作品に興味を持つようになりました。
ペトリューシュカが、実は暗く不幸なバレエの曲であったのは、驚きです。
作者ストラヴィンスキーがガンディーに似ている件も面白かった。
ピアノから長い間離れていましたが、密かに譜読み完了!
「いつの日か一緒に弾けたら楽しいだろうな」と思わせてくれる作文でした。
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