【講師コラム】大人も書いてみよう、読書感想文
こんにちは、リテラ「考える」国語の教室の講師、黒木里美です。
2025年青少年読書感想文コンクールの課題図書『わたしたちは食べるのが下手』(飛鳥井千砂著)を読んで、わたし自身が感想文を書いてみました。

本を読んだときに湧き上がってきた思いを形にしたくて書いたものです。 これは決して子どもたちの「見本」になるようなものではありません。
むしろ、一人の大人として本と向き合い、自分自身の経験と重ね合わせて書いた素直な感想です。 でも、この感想文を読んでくださった方々が、「読書感想文ってこんな風に書いてもいいんだ」と感じていただけたら嬉しいです。大人の本音の感想が、子どもたちが自分の言葉で書くためのヒントになれば、という願いを込めています。
ぜひ、保護者の皆さん、読書感想文を指導される先生方も、一度子どもたちと同じ本を読んで感想文を書いてみませんか?子どもたちと一緒に「書く」体験をすることで、新たな発見があるかもしれません。 それでは、わたしの読書感想文をご覧ください。
食べることが紡ぐ物語と、わたしの記憶
飛鳥井千砂さんの『わたしたちは食べるのが下手』を読みました。人と一緒に食事をするのが怖い葵と、食べては吐く行為を繰り返す咲子。二人の女の子が、それぞれの「食」への悩みを抱えながらも、お互いを理解し、自分たちなりの食べ方を見つけていく物語です。
このタイトルを見たとき、なんだか自分のことを言われているような気持ちになりました。わたしも「食べるのが下手」かも。今は食べることを楽しめるようになりましたが、振り返ると、わたしと食事の関係には色んな気持ちが詰まっていました。
小さい頃、わたしは母の料理が大好きでした。外食より家で食べる方が安心だったんです。好き嫌いが多かったから。友達の家での食事は「嫌いなものが出たらどうしよう」「食べなさいと言われたらどうしよう」といつも心配でした。でも自分の家では、嫌いなものは食べなくていいと、特に父が言ってくれていました。父は子どもの頃、嫌いなものを無理やり食べさせられた経験があって、わたしにはそんな思いをさせたくないと母に話していたそうです。わたしの嫌いな練り物は、いつも父が「どれどれ」と食べてくれました。それがすごく嬉しくて、安心できました。でも、ちょっとわがままになっちゃったかも。
小学生の時、学校の給食室の改装工事のため、一年間お弁当になったことがあります。毎日母は大変だったと思うけど、わたしはすごく楽しみでした。母の愛情がたっぷり詰まったお弁当を、教室でみんなと一緒に開けるのが幸せでした。
この本を読みながら、自分の思い出がいっぱい浮かんできました。特に心に残ったのは遠足の時のこと。特別仲の良い友達がいなかった時期、「誰も一緒に食べてくれなかったらどうしよう」とドキドキしていました。もしお弁当を一人で食べることになったら、わたしのためにお母さんが頑張って作ってくれたお弁当が、悲しい思い出になってしまうような気がして。そんな申し訳ない気持ちを抱えながら、勇気を出して周りの子たちを誘いました。男の子も、女の子も、一人でいる子も、二人組の子も。みんなに声をかけて、レジャーシートをくっつけて食べました。パッチワークみたいにシートが並んだ光景は、たくさんの部屋がある大きな家みたいで、なぜか安心できたことを今でも覚えています。
葵が給食の時間に感じた不安と、咲子の食べ物への複雑な気持ち。それを読みながら、高校生の時にダイエットにはまったわたし自身の姿と重なる部分がありました。当時、クラスの女子の間ではダイエットが流行っていて、毎日のように「○○ダイエット」が話題でした。わたしは3連パックのコーヒーゼリーを買って、朝・昼・夜に一つずつ食べるっていうダイエットを始めました。母の作る料理を拒否して、毎晩ケンカになりました。本当は家に帰るのも嫌だったけど、それはどうしようもなくて。真面目な性格だったから、夜8時まで図書館で勉強して、それから帰るっていう生活を続けていました。毎日体重が減っていくのを見て喜んでいたけど、5日目で倒れちゃいました。過呼吸になって、母が抱きしめてくれて、紙袋を口にあてて呼吸するよう教えてくれました。不思議なことに、その時はすごく幸せな気持ちでした。母が心配してくれる顔が近くにあることが、なんだか嬉しかったんです。あの出来事の後、特に何も言われることなく日常に戻りました。今思えば、母はわたしを全然責めなかった。年を取るにつれて、あの時の母の対応にどんどん感謝の気持ちが大きくなっています。
本の中で、葵と咲子が給食改革プロジェクトを通して「食べる側」から「作る側」になっていく場面が心に残りました。「食べてもらいたい」という気持ちには「生きて欲しい」「元気になって欲しい」という願いが込められているっていう気づき。それを読んで、わたし自身の母との関係を思い出しました。母のお弁当や料理には、いつも「元気でいてね」「幸せになってね」という願いが詰まっていたんだなって、今ならわかります。
わたしも今でも「食べるのが下手」かもしれません。甘いものは大好きだし、自分へのご褒美はいつも食べ物や飲み物です。好き嫌いもなかなか克服できません。ダイエットも今でも時々試しては失敗してます。でも、誰かのためにご飯を作るのが好きになれたのは、きっと母のおかげ。「食べてもらいたい」という気持ちの奥には、「元気でいて欲しい」「幸せになって欲しい」という深い愛情があることを、母から教わったから。
葵の「美味しいっていうのは、きっと。生きたいってことなんだ」という言葉に、すごく共感しました。食べることは生きること。誰かと食べることは、一緒に生きることなんだなって。長い時間をかけて、わたしは家族や友達と食卓を囲む意味を少しずつ理解してきました。今も、昔も、母の作るご飯が大好きです。それは単に味が好きってだけじゃなくて、母の愛情が詰まった食事を通して、「生きる楽しさ」を教えてもらってきたんだと思います。
この物語を読んで、「食べる」ということの深さを改めて考えさせられました。ただお腹を満たすだけじゃなくて、生きること、誰かとつながること、自分自身と向き合うことなんだって。葵と咲子が悩みながらも前を向いて歩き出す姿に、わたしも勇気をもらいました。わたしたちはみんな、それぞれのやり方で「食べる」ことと向き合いながら、自分の人生を作っているんだなって感じました。

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