【講師コラム】大人も書いてみよう、読書感想文
こんにちは、リテラ「考える」国語の教室の講師、黒木里美です。
2025年青少年読書感想文コンクールの課題図書『ふみきりペンギン』(おくはら ゆめ作・絵)を読んで、わたし自身が感想文を書いてみました。

本を読んだときに湧き上がってきた思いを形にしたくて書いたものです。 これは決して子どもたちの「見本」になるようなものではありません。
むしろ、一人の大人として本と向き合い、自分自身の経験と重ね合わせて書いた素直な感想です。 でも、この感想文を読んでくださった方々が、「読書感想文ってこんな風に書いてもいいんだ」と感じていただけたら嬉しいです。大人の本音の感想が、子どもたちが自分の言葉で書くためのヒントになれば、という願いを込めています。
ぜひ、保護者の皆さん、読書感想文を指導される先生方も、一度子どもたちと同じ本を読んで感想文を書いてみませんか?子どもたちと一緒に「書く」体験をすることで、新たな発見があるかもしれません。 それでは、わたしの読書感想文をご覧ください。
「出会いと別れの間に見つけた優しさ」
『ぼくのねこポー』を読んで、子どもの頃の忘れられない経験を思い出しました。
幼稚園の年少組の時、私たちの園に移動動物園がやってきました。羊やポニー、うさぎなど様々な動物がいましたが、私が心を奪われたのは一匹の白いハツカネズミでした。赤い目と純白の体を持つそのネズミは、幼い私には何よりも美しく愛らしく映りました。自分が子年生まれだったこともあり、不思議な親近感を覚えたのかもしれません。
幼稚園生の小さな手のひらにおさまるそのか弱い姿に、「守ってあげたい」「優しくしてあげたい」という気持ちが自然と湧いてきました。他の子どもたちが次々と違う動物に興味を移していく中、私は移動動物園が終わるまでずっとそのハツカネズミのそばにいました。先生から「他の動物も見てみない?」と声をかけられても、「ここにいます!」と元気に答えたことを覚えています。母も日傘を差しながら静かに見守ってくれていました。
そして移動動物園が帰る時、私は飼育員さんに「次はいつ来ますか?」と尋ねました。仲良くなったハツカネズミとわかれるのが辛くでも、我慢しなければならない、精一杯の問いかけでした。「また来るよ」と笑顔で答えてくれましたが、いつとは教えてくれませんでした。幼い私は「すぐにまた会える」と信じていましたが、移動動物園はなかなか来ません。日々待つ中で、期待と不安が入り混じる気持ちを抱えていました。
そんな時、突然の引っ越しが決まりました。新しい幼稚園には広い素敵な園庭があり、「ここに移動動物園が来てくれたら、また会えるかもしれない」という淡い期待を抱きながら、園庭を眺めていた日々を今でも鮮明に覚えています。
『ぼくのねこポー』を読みながら、よみがえってきた幼い頃の体験。主人公の少年が道端で見つけた「ポー」に心を奪われ、大切に思う気持ちは、私があのハツカネズミに抱いた感情と重なります。特に「ぼくは やさしく ポーのせなかをなでた。なでながら、「ポー」と、なんども よんだ」というシーンを読むと、小さな背中を優しく撫でた感触が手のひらに蘇るようでした。そして、別れを予感して苦しくなる胸の痛みも。
物語の中で、主人公は転校生の森くんの話を聞くうちに、自分が「ポー」と名付けた猫が、実は森くんが探している「トム」なのではないかという葛藤に直面します。この心の揺れ動きは、子どもながらに「また会いたい」という願いと「もう会えないかもしれない」という不安の間で揺れていた当時の私の気持ちを思い出させました。
私たちは人生で多くの別れを経験します。幼い頃のハツカネズミとの別れのように、次にいつ会えるのかわからない不確かさを抱えることもあります。しかし『ぼくのねこポー』は、別れの悲しさだけでなく、誰かの大切なものを大切に思える気持ちの美しさも教えてくれます。
一匹の小さな生き物との出会いと別れを通して、子どもながらに「大切にすること」と「手放すこと」の意味を学んだあの日の経験は、この物語を読むことでより鮮明に、そして新たな意味を持って蘇ってきました。『ぼくのねこポー』は、読者それぞれの中にある「小さな優しさの記憶」を呼び覚ます、そんな力を持った作品なのだと思います。

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