2025年読書感想文課題図書『スラムに水は流れない 』リテラの先生の読書感想文

【講師コラム】大人も書いてみよう、読書感想文

こんにちは、リテラ「考える」国語の教室の講師、黒木里美です。

2025年青少年読書感想文コンクールの課題図書『スラムに水は流れない』(ヴァルシャ・バジャージ)を読んで、わたし自身が感想文を書いてみました。

本を読んだときに湧き上がってきた思いを形にしたくて書いたものです。 これは決して子どもたちの「見本」になるようなものではありません。

むしろ、一人の大人として本と向き合い、自分自身の経験と重ね合わせて書いた素直な感想です。 でも、この感想文を読んでくださった方々が、「読書感想文ってこんな風に書いてもいいんだ」と感じていただけたら嬉しいです。大人の本音の感想が、子どもたちが自分の言葉で書くためのヒントになれば、という願いを込めています。

ぜひ、保護者の皆さん、読書感想文を指導される先生方も、一度子どもたちと同じ本を読んで感想文を書いてみませんか? 子どもたちと一緒に「書く」体験をすることで、新たな発見があるかもしれません。 それでは、わたしの読書感想文をご覧ください。

読書感想文のポイントはこちら

流れない水と流れる言葉 ― 『スラムに水は流れない』を読んで

蛇口をひねる、その当たり前の奇跡

私が授業で生徒たちに問いかけることがあります。「今日、何回蛇口をひねりましたか?」と。はじめ生徒たちは驚いた表情を見せます。そして「えっ、覚えてないです……」と戸惑いながらも、「朝、顔を洗ったとき……」「歯を磨いたとき……」「給食の前に手を洗って……」と指を折り始めます。しかし数え進めるうちに「あ、でも水筒に水を入れたのを忘れてた」「あと、家に帰ってからも……」と混乱し、最後には「先生、多すぎて分からないです」と肩をすくめてしまいます。

私たちの生活において水は、呼吸と同じくらい無意識の存在であり、その「あたりまえ」が実は大きな奇跡であることに、日常の中で気づくことはほとんどありません。

『スラムに水は流れない』を読み終えた夜、わたしは部屋の蛇口をゆっくりとひねりました。透明な水が、音を立てて流れ出します。インド・ムンバイのスラムに住む12歳の少女ミンニの目を通して、私は初めて「水」という存在を意識的に見つめることになりました。

「この大人になるってことは、大変だーなにも気にしなくてよかったわたしの子ども時代は、もうもどってこないかもしれない。でも、わたしには、助けてくれる人がたくさんいる。」(P105)

この言葉に、私は立ち止まりました。水が流れないスラムで、ミンニは「なにも気にしなくてよい子ども時代」を失いながらも、なお希望を見出しています。この、現実を直視する勇気と、それでも前に進む力は、どこから来るのでしょうか。

言葉を紡ぐ少女と、流れない水

ミンニは詩を書く少女です。彼女の内側では、水は豊かに流れています。この設定は単なる物語の装飾ではなく、深い意味を持ちます。

現実世界の水が制限され、奪われる状況にあっても、ミンニの内側では言葉が自由に流れ、詩となって結実します。彼女の詩作という行為は、抑圧された環境への静かな抵抗であり、自らの存在証明でもあります。

物語の中で、ミンニは「水マフィア」という不正に立ち向かいます。この時、彼女の武器となるのは勇気と、そして言葉です。ミンニの詩人としての感性は、社会の矛盾を捉える鋭い目を育て、その不正を告発する力を与えます。

言葉は単なるコミュニケーションの道具ではなく、世界を正確に捉え、時に変革する力を持ちます。ミンニが詩を通して自分の声を獲得していく過程は、文学教育の本質を映す鏡のようです。

「学び」という、どこにも奪われない水源

物語の中で、わたしが最も心を動かされたのは、厳しい環境の中でもミンニが学びを諦めなかった点です。シャー先生やプリヤ・ディディなど、彼女の「学び」を支える人々の存在は、教育者であるわたし自身の使命を問い直させます。

「人は、水なしでは生きていけない。でも、ほんとうに必要なのはそれだけじゃない!」

この言葉は本書のテーマを端的に示しています。人間が生きるために必要なのは、水や食べ物だけではありません。知識、物語、想像力、そして希望もまた、人間が人間らしく生きるための「水」なのです。ミンニがコンピューターを学び、詩を書き続けることは、彼女の魂を潤す水源となっています。

わたしたちの教室にも、様々な背景を持つ生徒たちがいます。彼らに何を伝え、どんな「水」を届けられるのか。ミンニと彼女を支える大人たちの関係性から、教育者としての自分の在り方を改めて考えさせられました。

見えない水脈を掘り当てる

本書は単に「遠い国の水問題」を伝えるだけの物語ではありません。それは、私たちの「あたりまえ」を揺さぶり、見えない社会構造を可視化する物語でもあります。

インドのカースト制度の影響が残る社会、水資源の不平等な分配、そして「水マフィア」のような闇。これらは決して遠い国の話だけではなく、形を変えて私たちの社会にも存在する問題かもしれません。

生徒たちにこの本を読ませるとき、わたしは問いかけたいと思います。「あなたの周りにある『当たり前』は、誰かの犠牲の上に成り立っていないか」と。文学作品を通して社会の構造を読み解く力は、国語教育の重要な側面だと考えています。

流れ出す勇気

ミンニが水マフィアを告発するために取った行動には、大きな勇気が必要でした。しかし彼女はその一歩を踏み出しました。それは単なる「子ども」から「社会の一員」へと成長する瞬間でもありました。

わたしたち大人は、子どもたちに何を伝えるべきでしょうか。安全な水を得られない世界の現実を知り、「かわいそう」と思うだけでは何も変わりません。ミンニのように、不正を見たら声を上げる勇気、行動する力を育むことこそ、教育の本質ではないでしょうか。

物語に触れ、別の人生を追体験することで、自分の殻を破り、新たな視点を獲得します。そして時には、社会を変える一歩を踏み出す勇気を見出すためでもあります。

私たちの中に流れる希望

『スラムに水は流れない』という題名には、二重の意味があるように思います。一つは物理的な水の不足、もう一つは社会的な正義や共感の欠如です。

物語の最後でも、実はスラムに水が豊かに流れるようになったわけではありません。水は相変わらず、村の人々が共有する蛇口から少しずつしか出ません。水マフィアは捕まったかもしれませんが、根本的な水問題は解決していないのです。

しかし、ミンニの中には確かに何かが流れ始めています。彼女は水くみに並ぶ列をなくし、時間を節約できるようなアプリを開発したいという新たな夢を抱くようになりました。この発想の転換こそが、彼女の内側から湧き出る希望の証です。問題をただ嘆くのではなく、テクノロジーを使って解決策を見出そうとする姿勢に、私は深く心を動かされました。

明日の授業で、わたしは生徒たちに問いかけるでしょう。 「あなたの周りにある解決されていない問題に、どう向き合いますか?」 「その問題を、あなたなりの視点と力で、どう変えていけますか?」

この物語が教えてくれたのは、物理的な環境がすぐには変わらなくても、問題に対する私たちの姿勢や取り組み方は変えられるということです。ミンニのように、与えられた状況を受け入れながらも、その中で新たな可能性を見出す力こそ、私たちに必要な「水」なのかもしれません。

ミンニのように、諦めずに問題解決に挑む勇気と創造性を、わたしも生徒たちも、この物語から汲み取りたいと思います。そして何より、彼女の姿を通して、「あたりまえ」の中に隠れた不正義に気づく敏感さと、それを変えようとする行動力の大切さを学びたいと思います。

読書感想文を書こう!

対話をベースに、世界で一つの読書感想文を書き上げましょう!

書き上げるのが大変な読書感想文。でも、読書とは本来、楽しいもの。読書感想文を素敵な学びの機会に変えてみませんか?

対象学年:小学生・中学生・高校生

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この記事を書いた人: リテラ「考える」国語の教室

東京北千住の小さな作文教室です。「すべて子どもたちが、それぞれの人生の物語を生きていく力を身につけてほしい」と願いながら、「読む・書く・考える・対話する」力を育む独自の授業を、一人ひとりに合わせてデザインしています。

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カテゴリー: 教育コラム, 読書感想文

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