2014年9月27日、民俗学者 佐々木美智子先生をお招きし、当教室のあるプティボワ―ビル一階の「Cafe kova Garden」にて、第十一回千住アートメチエ文化教養講座『千住に生きるということ ~民俗学者の見た千住の姿~』を開講しました。
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講座内容の抜粋
今回の講座では、『旧日光道中千住宿家並変遷図』(東京都足立区教育委員会, 1978.12)をガイドに、明治年代・大正十年(震災前)・昭和十年(戦争前)・資料作成当時(一九七八年)そして現在と、千住の街並みの移り変わりを追いかけました。
人の流れによって活きた千住宿
千住は、江戸時代、日光街道・奥州街道の江戸から一つ目の宿場として発展しました。参勤交代で訪れた大名たちは、江戸に入る時には千住にて装束を整え、また、江戸から出る際には旅支度を整えたそうです。また、千住には「やっちゃば」と呼ばれる青果市場があり、農村から運ばれる野菜などの作物と、江戸の人々をつなぐ地でもありました。戦前には千住の街にも青物問屋が軒を連ね、活気に満ちていました。
講演では、三十年ほど前に撮影された千住四丁目の浅草紙問屋である横山家の映像が紹介されました。農村地帯では、再生紙の生産が盛んでした。原料として都市で集められた古紙と農村の再生紙は、千住でつながり、人々の暮らしに役立っていました。参加者の中にも浅草紙に見覚えがある方がいらっしゃり、会話に花が咲きました。
このように、千住は人々の流れによって活きた街でした。
時代の変遷と街なみの変化
震災や戦争、交通の発達により、千住の街なみも変化してきました。戦時の統制でやっちゃばが移動すると共に青物問屋が姿を消し、空襲によって、北千住の駅から国道四号線が見えるほどの焼け野原になってしまったそうです。
現在は駅ビル近代的なビル・デパートが立ち並び、平成24年には東京電機大学千住キャンパスが誕生するなど、活気があふれている千住ですが、これからの千住をどのように形作っていくかは、そこに住む一人ひとりの課題であると、最後に先生はおっしゃいました。
参加していただいたみなさんの声
アンケートからの抜粋
- 新しい道路が開かれると、新しい都市化がすすむ。けれども、旧い街並みはくずれる。でも、新しかった道路にもいろいろ問題が生じる。その結果、また旧い街並みが見直されていく。そのような民俗がよくわかりました。
- 品川に住んでいる関係で、旧東海道の街並みと千住の街並みを重ね合わせながらお話を聴かせて頂きました。住み始めて数年のため、お客様的な感覚を持っていました。今日のお話と重ねながら、いい陽気なので明日にでも少し土地に馴染んだ感覚を持ちながら近所を歩いてみたくなりました。
- 「千住」という街に限定したテーマを設定したおかげで、一般的な民俗学で取り扱わないような、細かなことや息遣いを感じられるような具体的な事を聞くことができ、とてもおもしろかったです。
この他にも、たくさんの声をいただきました。参加していただいた皆様、どうもありがとうございました。
次回の千住アートメチエの詳細は追ってご案内いたします。お楽しみに。