【アートメチエ報告】 『日本のゴジラはなぜこわい?』(文化教養講座)

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2013年12月14日、日本文学研究者・助川幸逸郎先生をお招きし、当教室のあるプティボワ―ビル一階の「Cafe kova Garden」にて、第八回千住アートメチエ文化教養講座『日本のゴジラはなぜこわい?』を開講しました。

講座内容の抜粋

今回も、小学生から大人まで、様々な年齢の方が参加してくれました。

今回も、小学生から大人まで、様々な年齢の方が参加してくれました。

『ゴジラ』第一作は、1954年、ビキニ島の核実験により起こった第五福竜丸事件をきっかけにして、制作・公開されました。前年にアメリカで公開された怪獣映画『原子怪獣現わる』に大きな影響を受けています。しかし、この『原子怪獣現わる』に代表される多くの怪獣映画と『ゴジラ』の間には、様々な相違点があります。今回の講座では、その相違点から、私たち日本人の科学観を読み解きました。

ゴジラの動き

他の怪獣映画に登場する怪獣たちの動きが素早く、また動物的であるのに比べて、ゴジラの動きは重々しく、巨大な質量を感じさせます。また、ゴジラを見下ろすアングルから撮影されたシーンがなく、常にゴジラを見上げる視点から、逃げ惑い絶望する人々が描かれているのも特徴的です。こうした演出により、ゴジラが持つ、人間には抗うことの出来ない圧倒的な力が印象づけられます。南の海から迫ってくる災害といえば台風ですが、南からやって来るゴジラもまさに自然災害として、日本に迫ってくるのです。
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ゴジラを倒すということ

『原子怪獣現わる』も『ゴジラ』も、人間の核実験によって誕生します。そして、原子怪獣は体内に放射性同位体を打ち込まれることによって、ゴジラは新兵器「オキシジェン・デストロイヤー」によって倒されます。いずれも、より強力な科学技術によって倒されたと言っていいでしょう。しかし、そこに表れている科学に対する見方には、大きな隔たりがあります。

『ゴジラ』の作中で、「オキシジェン・デストロイヤー」の発明者である芹沢博士は、その資料を焼き捨て、使用と同時に自ら命を絶ちます。芹沢博士は、科学技術を兵器として使うことを拒否したのです。ここには、科学技術の持つ危うさと、ゴジラもまたその被害者であるという視点が描かれています。これは、『原子怪獣現わる』から2013年にアメリカで作製された怪獣映画『パシフィック・リム』に至るまで、より強い科学兵器(特に核兵器)で人類と対峙する脅威を倒していくことに何ら疑問を抱いていない他の怪獣映画とは一線を画すものです。

参加された皆さんは、思い思いにメモを取ります。

参加された皆さんは、思い思いにメモを取ります。


核兵器の力によって生み出されたゴジラは人の手に負えない自然の脅威として描かれ、それを更に上回る科学技術によって打ち倒されることで、私たちに科学の持つ力と危うさを突きつけるのです。力をねじ伏せるさらなる力を求め開発していくことを「進歩」と呼ぶのか「愚行」と呼ぶのか。かつて核兵器による脅威にさらされ、今もまた、収束しない原発事故を抱えている私たちが、もう一度考えるべき課題かもしれません。

参加していただいたみなさんの声

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今回も、Cafe Kova Gardenさんが、バナナケーキと、コーヒー・紅茶を用意してくださいました。

アンケートからの抜粋

  • ゴジラという作品にこめられた”もの”について、深められました。子供向けの作品であっても、こんなに意味深いものであるのは、やはり作り手が大人だからだと思います。他のあらゆる作品も、一見すると見過ごしてしまうような意味が込められていると意識しながら見れば、新しい発見があるかもしれないな、と思いました。
  • 感性豊かな生徒さんたちとの講座は、大人だけの講座とは一味違う刺激的な時間を過ごさせて頂きました。この講座に参加したことで私にとってはただの怪獣映画という浅い存在から、自然・核科学などの価値観の違いを意識することで今までより深く心にズシリとくる深みをもつ存在に変化したように感じています。物事を多角的な視点で観ていく楽しさを受け取りました。助川先生、ありがとうございました。
  • 怪獣映画の中の国の考え方、文化の違い・原子力の認識やら、見る観点がいろいろあることをたくさん知りました。孫達と一緒に見る時もただお付き合いで見るのではなく、その中に何があるのか、違った見方で見ることを知り、楽しく思えると思います。

この他にも、たくさんの声をいただきました。参加していただいた皆様、どうもありがとうございました。

カテゴリー: 文化教養講座

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