中学3年生のときには、リテラの作文ワークショップ「イルカにさわろう!」にて、小学生たちにむけてファシリテーターを務めたMさんは、今回は、動物園をテーマにディベートの立論について学びました。
参考図書を読んだり、インターネットでデータ収集したりするだけでなく、図書館で新聞記事の縮尺版を探すなど、精力的に取り組みました。完成した際は、「レポートがどんどん形になっていくのが、楽しかった!」と達成感を得ることができたようでした。
クリティカル(critical=批判的な・多角的な)な態度を養う
政策ディベートの立論の方法を学ぶことは、この教室の学びで培われる総合力が問われます。
政策ディベートとは、ある政策論題をめぐり、肯定側・否定側に分かれ、第三者である審判に向けてそれぞれの主張を展開し、勝ち負けを競う競技です。
今回は、競技のためのディベートではなく、意思決定の方法を学ぶ一貫として、ディベートの立論の型を元に、レポートを作成してもらいました。
これまでに学んだ三角ロジック(根拠となる事実を示しながら、議論を展開する方法)を下敷きとしつつ、必要性の議論、解決性の議論を展開します。
必要性をめぐる議論では、肯定側は、「なぜ、そのような政策を実施する必要性があるのか」について立証することを目的として主張します。現状に何らかの問題があること、その問題が深刻であること、その問題の生まれる原因と論題とが関わり合っていることを証明します。否定側は、それらを否定します。
解決性をめぐる議論では、肯定側は、「どのように問題が解決されるのか?」について、立証することを目的として主張します。問題の解決にあたってどのようなメリットが生まれるのか。メリットの発生する過程はどのようなものか。その過程で生まれるコストや、デメリットはどの程度かといったことを検証し、総合的に論題を採用することが望ましいことを主張します。否定側は、それらを否定します。
どちらの側に立つとしても、生徒は、論題に対して、肯定・否定両面からデータを収集・検討し、レポートをまとめます。
このような議論の方法を学ぶことは、物事をクリティカル(批判的・多角的)にとらえる力を養います。
論題について
動物園の起源
市民に開かれた動物園は、18世紀オーストリアに作られたシェーンブルン宮殿に併設されたものや、フランスのパリ動物園(パリ・メナジェリー)が起源とされていますが、それは、動物を見世物として楽しむ娯楽施設としての役割でした。やがて、19世紀に入り、イギリスで、科学的な研究のための研究資料として世界中から動物を収集したロンドン動物園が設立されます。
動物の権利
やがて、性差別や人種差別への反対運動など人権意識の高まりを受けて、動物実験への反対運動や、娯楽や学術研究といった人間の幸福のために動物を利用するという考え方が疑問視されるようになります。
1978年には、パリのユネスコ本部において、「動物の権利の世界宣言」が宣言されます。それは、動物の「知性」や「感情」を前提とし、その生命を尊重することによって、人間が利己主義に陥ることを戒め、自然の均衡を保全する態度を示すものでした。
こうした考え方は、動物愛護や動物の福祉といった広まりを見せつつ、菜食主義といった個人の生き方や、過激な動物愛護運動のような社会問題といったさまざまな問題もはらみながら、現代の人間と動物との関わり方を考える上での重要な視点となります。
変化する動物園
一方、動物園でも従来の娯楽・学術研究の場だけでなく、社会教育の場、種の保存の場といった役割を持つ場として変化し、動物たちへの命の尊重という面からも、動物へのエンリッチメントや、生態展示や行動展示といった新たな試みがなされています。
こうした動きは、横浜・ズーラシアや、旭山動物園のように年々減少傾向にある動物園利用客の呼び戻しに成功しています。
ただし、動物園経営の多くに、税金が使われているという事実もあります。この議論では、国民・市民の税金を使うにあたり、動物園の価値について、今一度考え直す必要があります。
動物園の是非は、この他にも多様な視点での議論が可能です。ただし、今回のレポートでは、枝葉の議論ではなく、特に動物たちの生きる権利といった生命倫理への検討をきちんとするよう、指示をしています。
(参考:『大人のための動物園ガイド』成島悦雄・編著/養賢堂、NPO法人地球生物会議ALIVEより「動物の権利の世界宣言」)
作品
※作品を読む前に
競技ディベートでは、個人の意見や価値観とは関わりなく、試合の場で初めて肯定側か否定側かが決定されます。今回のレポートも、動物園の是非について、Mさんの個人的な意見を書くのではなく、「肯定側(あるいは否定側)に立った場合に最も効果的で説得力のある立論をすること」を目的に取り組んでいます。
『日本はすべての動物園を廃止すべきである。是か非か。(肯定側)』
高2・Mさん
動物園の定義と目的
日本において動物園とは、博物館類似施設のことで、主に哺乳類や鳥類を収集、飼育し、広く一般に公開、展示する施設のことをいう。主な目的は4つある。
1つ目、絶滅の恐れのある野生動物の保護・繁殖および種の保存。例えば、ズーラシア、旭山動物園では、オカピやウンピョウ、ヒガシクロサイなどの希少動物の保存に成功している。[注1]
2つ目、動物の保護・繁殖等をより効率的に進めるための調査・研究。希少動物の繁殖や動物の生理・生態の解明などの、種の保存に向けた調査・研究をしている。
3つ目、子供への教育。解説パネルの設置、職員による園内ガイド、動物ワークシートなど、人と動物のつながりについて、来園者が、楽しみながら学べるようになっている。[注2]
4つ目、娯楽。憩いとくつろぎの場として利用されている。
動物園の抱える問題
動物園は、以上のような目的によって運営されているが、次の4つの問題を抱えている。
1. 経営にかかる大きなコスト
横浜市の動物報告書(平成14年度)によると、動物園の経営にかかるコストの総額は約41億円。そのうち、利用料収入が11億円であり、約30億が税金で賄われている。自治体の決算総額約107億円に対して、動物園の財源負担額はその3分の1だ。動物園の経営には、多額の費用がかかることがわかる。
日本は少子高齢化と言われている。だから、今必要なのは老人ホームなどの福祉施設なのではないのか。また、住宅生活を支えるためのサービスの充実や整備の必要もあると考える。他にも、バブル崩壊に伴い親が共働きになる家庭が多くなり、保育施設が足りず待機児童が増加している。したがって保育施設の新設や、保育士の人材確保・育成が必要である。このように、社会保障の充実が、動物園の維持よりも優先されると私は考える。[注3]
2. 災害などにおける動物の脱走の危険性
例えば、昭和11年7月25日に上野動物園で、運動場のわずかな隙間からクロヒョウが逃げ出した。約12時間後クロヒョウを捕らえることができた。[注4]被害はなかったものの、そのクロヒョウが人に会っていたらとても危険だ。
第2次世界大戦中に実施された上野動物園での戦時猛獣処分は、この事件の影響があったといわれている。戦時猛獣処分とは、戦時において猛獣な動物が逃亡し、人間に危害を加えないように未然に殺処分することだ。[注5]
このように、大きな災害がおきた時や事前にそうした事態が予測される場合は、逃げ出した動物たちが人間に危害を与える可能性や、そのような場合に動物たちを殺さなくてはいけない可能性が生まれる。また、後者のような場合は、問題点4で述べる動物の生きる権利を侵害している。
3. 人的被害や生態系への悪影響
動物園から逃げ出した外来種が日本に住み着き、人々の生活や、生態系に悪影響を与える可能性がある。たとえば、外来種のアライグマが日本に住み着いてしまった原因は、愛知県犬山市の動物園から逃げ出してしまったことからはじまった。アライグマによる被害は、スイカやトウモロコシなどへの農林水産被害、人家に住み着くことによる生活環境被害、ウイルスの媒介による狂犬病やアライグマ回虫による幼虫移行症などの人獣共通感染症といった人的被害がある。また、生態系への影響としては、北海道では、ニッポンザリガニやエゾサンショウウオなどの捕食が確認されている。[注6]
また、動物園があることによって、安易に海外の珍しい動物を飼いたいという気持ちをおこさせてしまうことも問題である。子どもの時に動物園にいる動物を飼いたいと思った人も少なくないだろう。しかし、正確な知識も持たずに動物を飼ってしまうと面倒が見きれなくなり、野外に放してしまい、それがさまざまな悪影響をもたらす。
たとえば、アライグマが全国に広まった原因は、動物園から脱走したことだけではない。アニメによりアライグマの人気が高まり、一般の人もペットとして飼い始めたが、気性が荒い動物のため飼いきれなくなり、野外に放してしまう人が増えたのである。アライグマブームに乗ってアライグマを展示した動物園もこうした状況を助長させたと考えられる。[注7]
4. 動物の自由に生きる権利の侵害
動物園の中の動物は、本来の生きている環境から切り離され、閉じ込められる事によってストレスを感じ、異常な行動をしている。例えば、ホッキョクグマは、いつまでも首を振り続けたり同じ所を行ったり来たりする。ヤブイヌは、同じ所をグルグル回り、ひとつの場所で同じ動作を繰り返す。[注8]
動物も生きる権利を持っている。動物の生きる権利とは、動物たちが人間に虐待や干渉されずに、自然で生活する権利を有するということだ。
1989年にパリのユネスコ本部で改正された「動物の権利の世界宣言」の第四条では、次のように述べられている。
野生動物は自然な環境のなかで自由に生き、その中で繁殖する権利をもつ。
A野生動物の自由を長期間奪うこと、娯楽のための狩猟と釣り、そして生命維持に不可欠でない目的での、あらゆる野生動物の利用は、この権利に反する。[注9]
したがって、動物も人間と同じように権利を持っている。動物園に動物を閉じこめておくのは、その権利の侵害に値する。
では、なぜ動物の権利を守らなくてはならないのか。それは、動物にも感情があるからだ。
たとえば、ハンガリーの科学者によって動物に感情があることが証明されている。
また、動物の中には、かなり人間の言葉を理解できるものもいる。言葉を理解するということは、感情を理解することにつながる。
愛知県の犬山市に京都大学霊長類研究所がある。この研究所にはアイというチンパンジーがいる。アイは、図形文字が書いてあるキーボードをつかって人間と会話することができる。
このように、動物も人間と同じように心がある。したがって、身体的にだけではなく心理的にも苦痛を感じる。だから、必要以上に動物を苦しめてはならないのである。
また、動物の権利を守ることは、人間を守ることにつながる。親が動物を虐待する人は、子どもも虐待している可能性が高い。また、その子どもも、自分の子どもを虐待する可能性が高い。全米人道協会副会長、ランダル・ロックウッドさんはニュージャージー州で児童虐待のあった53の家族を訪問し、聞き取り調査をした。その結果、そのうちの60%の家庭の一員が、動物虐待を行っている事がわかった。
問題の解決性
以上のような四つの問題点は、動物園を廃止することによって解消することができる。
経営に使われていた大きなコストをなくすことで、約30億円もの税金をより優先すべき公共サービスに使うことができる。
動物園の猛獣が脱走したときの人々の危険を考える必要がなくなる。
脱走した動物による生態系への悪影響がなくなる。
動物の権利を守り、動物が守られれば、環境への保全の意識を高めることができる。さらに、人々の人権への意識を高めることにつながる。それは、社会保障のしっかりした福祉社会を目指す上で重要だ。
動物園廃止によるデメリットへの対応
では、動物園を廃止する場合、動物園が担っている仕事はどのようにするべきか。
動物園の目的の一点目・「種の保存」や、二点目・「生態の調査・研究」は、その動物の生活している場所でできる。すると、動物を自然から切り離さずに、保護や調査・研究ができる。さらに、その動物の生息している自然環境を整えることが必要になり、その環境の生態系を保全することにつながる。例えば、WWFジャパン(公益財団法人世界自然保護基金ジャパン)は、インドネシア及びマレーシアで地域の人々と協力し、オラウータンを保護し、オラウータンが住みやすい環境を整え、自然に帰す取り組みを続けている。また、その中で、種の保存のための調査・研究をしている。さらに、生息環境を整えるこの活動は、オラウータンだけではなく、多くの野生動物を守ることにつながる。[注13]
動物園の目的の三点目、「子供への教育」は、視聴覚教材や動物保護センターに代替できる。動物園の教育目的は、動物の生態や生命の尊さ、共生の大切さを学ぶためにあると考えられる。それらについて、実際に展示動物を見たほうが五感を使って学ぶことができて良いという考えもあるだろう。しかし、檻の中でストレスを感じている動物で、動物本来の姿は見られるのか。動物園の動物は餌をもらっているため狩りをしない。檻に閉じ込めて、動物の命の尊さは学べるのだろうか。共生とは、多様な動物が関わり合いながら共に生活することだ。しかし、動物園では多様な動物が同じ空間にいることはなく、共生を学ぶことができない。
一方、視聴覚教材ならば野生の動物の狩りをする場面など、自然の中でのその動物の本来の姿を伝える資料が数多くある。実際に動物園に行くよりも、得られる情報が多い。
動物センターは、動物の住んでいるところにある。例えば、イリオモテヤマネコの保護センターは西表島にある。動物園のように人々が動物を見るために動物を集めるのではなく、生息地域に行くことでその動物に会うことができる。そうすることで、その動物の生態だけではなく生活環境もみることができる。[注14]
したがって、動物園に行くよりも視聴覚教材や動物センターを利用したほうが、よりよい教育ができると、私は考える。
動物園の目的の四点目、「娯楽・憩いとくつろぎの場」として利用するのは、問題点4で述べた通りである。動物を見ることを娯楽とするのは、動物の自由に生きる権利の侵害である。
結論
このように、動物園を廃止することによって、その経営の大きなコストをもっと優先すべき施設に使うことができる。動物が脱走した時の人的被害や生態系への悪影響の原因がなくなる。
そして、私が最も重要だと考えるのが、動物の生きる権利を守ることができ、命の尊さを学ぶことができるということだ。これを実現できる社会は、人の幸せを第一に考えることができると考える。なぜなら、動物の権利を守ることは、命の大切さを知るということであり、他者の立場にたって考えることであるからだ。
動物の権利が守られ、動物を自然に戻す時、その動物が生きていけるように環境を守り、整えておかなければならない。持続可能な社会が求められている今、動物園の廃止は、環境を守り、人間を含めた命全体を守るために、必要だ。
【参考資料】
注1 横浜動物園ズーラシア・ホームページ
注2 旭山動物園ホームページ
注3 横浜市ホームページより平成15年度包括外部監査結果 第4章 動物園
注4 大人のための動物園ガイド/成島悦御/p99
注5 ウィキペディアより「戦時猛獣処分」
注6 アライグマ防除の手引き一環境省
注7 京都府ホームページ
注8 地球生物会議ALIVE
注9 動物の権利の世界宣言
注10 2014年ロイター通信より
注11 引用(3)思考と信号 その17 サルは言語を理解するか
注12 毎日新聞(関東版)2002年8月14日夕刊 特集ワイド2
注13 WFFのオラウータン保護活動
注14 西表野生生物保護センター