リテラでは、生徒一人ひとりの興味・関心に基づいた学びの成果を、様々な方と分かち合う場として、年に一度、『生徒作品発表会』を開催しています。
今回は、『ドーピングとスポーツ』(Y・Kくん 新小5)を掲載致します。
自転車競技が大好きなYくん。しかし、スポーツには、深刻なドーピングの問題があるということを知りました。今回の研究では、ドーピングの歴史や恐ろしさについて調べました。
作品について
本人の振り返り
- これはどのような作品ですか?
- スポーツとドーピングには、どのような関係があるのか、そして、どのような危険があるのかをまとめた作品です。
- どうしてこの作品をつくりたかったのですか?
- 自転車が個人的に好きなのですが、その自転車競技では、たくさんドーピングの事件が起きているため、くわしく調べてみたくなったからです。
- 作品づくりで楽しかったことは何ですか?
- 大好きな自転車の本で調べたことです。
- 作品づくりで難しかったことは何ですか?
- 難しい本で調べたり、まとめたりしたことです。
- 作品作りを通して学んだことは何ですか?
- ドーピングはとてもおそろしく、時には選手の命をうばうものなので、ドーピングのない世の中にしていきたいと思いました。
- 次に活かしたいことや、気をつけたいことはありますか?
- 発表のときに、もっと声を出したいです。
- 来年、研究したいことはありますか?
- 走ることについて研究したいです。
- この作品を読んでくれた人に一言
- ドーピングのこわさについてわかっていただけましたか? これからも、選手たちがのびのびとプレーができるような環境にしていけたらと思います。
生徒作品
『ドーピングとスポーツ』(Y・Kくん 新小5)
僕は、自転車が好きです。自転車は自転車でも、皆さんが普段乗っている自転車ではありません。ロードバイクという競技自転車が好きです。そして、このロードバイクを使った、競輪という競技や、ロードレースが好きです。選手たちの走る姿を見ていると、自分もそうなりたいと憧れます。
しかし、自転車競技では、ドーピングが数えきれないほど多く発生しています。それを聞いて僕は、好きな競技だからこそ、不正行為があるのを残念に思いました。そして、なぜスポーツ選手たちがドーピングをしてしまうのか疑問に思いました。そこで、今回の研究でドーピングについて調べることにしました。
ドーピングとは、禁止されている薬物や方法を用いて、運動能力を高め、不正に勝利を得ようとする行為のことです。ドーピングの語源は、南アフリカ原住民カフィール族が、出陣のときに飲んでいたお酒、ドープです。古代の競技などでも、闘争心を高めるために、興奮剤が使われていました。ドーピングは、戦いの恐怖を忘れるためにも使われました。第一次および第二次世界大戦では、覚醒アミンなどが使われました。
古代ローマでは、馬に飲ませました。また、19世紀でも、たくさんの薬物を競走馬に与えていました。
そして、ドーピングは、スポーツに使われるようになりました。1865年にアムステルダムの運河で開かれた競泳大会で興奮剤が使われたのが最初です。
1886年のボルドー-パリ間の600kmの自転車レースで、興奮剤の過剰摂取で選手が亡くなりました。これは、ドーピングによる初の死亡例です。
1896年のアテネオリンピックで初めてスポーツが競技として確立しました。それによってドーピングも各地に広がっていきました。1936年のベルリンオリンピックでは、ナチスドイツの国威発揚(こくいはつよう)の場として位置づけられ、組織的なドーピングが行われます。
この頃のドーピングは、カフェインをはじめとした興奮剤が大半でした。興奮剤を、多量に摂取することで、テンションをあげ、トレーニングや、競技に挑んだのです。また、コカインやヘロインなどの麻薬も使用されていました。次に流行したのは、アンフェタミンという、覚醒アミンの仲間です。中枢神経を興奮させます。
これは、1960年のローマオリンピックの100kmロードレース中に道路に横たわっているヌットエネマルクジェンセンの写真です。アンフェタミンの副作用による死で、オリンピックでのドーピングによる初の死亡例であると言われています。
その後、プロスポーツが発展すると、高額な報酬目当てに、ドーピングが広がっていきました。交感神経を興奮させるエフェドリンや、男性ホルモンをつくるテストステロン類など、ドーピング検査に引っかからない薬物が、多くのスポーツに広がっていきました。1988年のソウル・オリンピックで、カナダのベン・ジョンソンが筋肉増強剤を使い、金メダルを剥奪されました。また、1994年に、アメリカのスター選手、メアリ・スレーニーが、国際陸上競技連盟で筋肉増強剤の不正使用を認定されました。このように、スター選手にも、ドーピングが広がっていったのです。
また、冷戦時代の東欧諸国では、国家ぐるみのドーピングが行われていました。旧東ドイツの選手たちは、ビタミン剤やカルシウム剤だとだまされて筋肉増強剤などの薬物を飲まされていました。その結果、脊椎に障害を負ったり、赤ちゃんが生まれなくなってしまったり、赤ちゃんに障害が出たり、性同一性障害に苦しむようになってしまったりしました。
このような、恐ろしい副作用のあるスポーツにおけるドーピングを撲滅する活動を、「アンチ・ドーピング」と言います。現在、WADAという、世界各国におけるドーピングの根絶と、公正なドーピング防止活動の促進を目的として設立された国際的な機関が、世界のアンチ・ドーピング活動の中心的な役割を果たしています。日本では、JADAという、日本におけるアンチ・ドーピング活動を推進・展開する機関があります。その他にも、アメリカにはUSADA、イギリスにはUKADなどの機関があります。国際的なドーピング検査基準の統一や、ドーピング違反に対する制裁手続きの統一などがはかられています。
僕はドーピングについて調べ、ドーピングは時に選手たちの命を奪う恐ろしいものだと知りました。プロの選手達は勝たなければならないというプレッシャーがあるので、ドーピングをしてしまうそうです。しかし、勝つために違法行為をするというのは、やはり良くないことだと思います。選手たちは、テレビに映ったり、試合に出たりすることで、子供達やみんなのお手本となる存在です。だから、僕は、そのような選手たちに違法行為をしてほしくないと思います。何よりも選手たちの体が心配です。ドーピング違反のない世の中にしていきたいと僕は思います。みなさんも、選手たちがのびのびとプレーできるように、応援してあげてください。
これで僕の発表を終わります。聞いてくださって、ありがとうございました。
- 高橋 正人・河野 俊彦・立木 幸敏(2000). ドーピング―スポーツの底辺に広がる恐怖の薬物 講談社
- 第一東京弁護士会 総合法律研究所 スポーツ法研究部会(編). Q&Aでわかる アンチ・ドーピングの基本 同文館出版