スポーツカーが大好きなI君は、年度末の作品作りの題材に、イタリアの有名スポーツカーの会社・フェラーリを選びました。大人向けのものが多く、資料集めに苦労しながらも、「自分はこう書きたい! 」という意欲を持って取り組みました。その甲斐あり、読者を意識した、バランスのとれた紙面に仕上がりました。
作品紹介
「フェラーリ新聞」(抜粋)
小4・I君
はじめに
この新聞は、世界の三大スーパーカー会社のうちの一つ、フェラーリについて書いた新聞です。色々な人に、スーパーカーのすばらしさを知ってもらいたくて書きました。むずかしい言葉もありますが、スーパーカーの世界はおもしろいので、ぜひ読んでみてください。
フェラーリの創業者 エンツォ・フェラーリ
フェラーリの創業者は、エンツォ・フェラーリだ。
エンツォは、フェラーリ家の次男として生まれた。
エンツォは、二十三才の時、アルファロメオというイラリアの自動車会社で、テストドライバーとして働き始めた。
その後、一九二九年に、レーシングチーム「スクーデリア・フェラーリ」を設立し、勝利を重ねてきた。しかし、一九三二年に息子が生まれて以後、エンツォは、ドライバーをやめ、チームのマネジメントをするようになる。
一九三五年のドイツGPでは、当時最強だったメルセデス・ベンツに勝ち、フェラーリは、イタリアンの象徴となるのだ。その後、第二次世界大戦が終わり、エンツォは、自動車製造会社「フェラーリ」を設立した。そこで作られた車は、アメリカの富裕層に買い求められるようになる。
フェラーリVSランボルギーニ
ランボルギーニとは、フェラーリと同じイタリアの自動車製造会社だ。そのランボルギーニとフェラーリは、ライバル関係である。なぜこの二つの会社は、ライバルになったのか。
きっかけとなる出来事は、第二次世界大戦のあとに起きた。
ランボルギーニの創業者であるフェルッチオ・ランボルギーニは、高性能トラクターを作り、大もうけした。やがて、フェラーリオーナーになったフェルッチオは、自分の愛車の部品のこしょうになやまされた。そこで、フェルッチオは、フェラーリに部品を請求した。しかし、フェラーリは、フェルッチオに、ランボルギーニのトラクターの部品を通常の十倍の値段で売りつけた。
フェルッチオは、そこで生まれたくやしさから、フェラーリをぬくスポーツカーを作ってやる! 決意したのだ。
ここから、フェラーリとランボルギーニは、ライバルになった。
代表的なフェラーリ
フェラーリで、特に有名な車は、F40やF50だ。F40は、フェラーリ設立四十周年を記念して作られた車だ。それに続き、設立五十周年を記念して作られたのがF50だ。二つとも車高が低く、いかにもスポーツカーらしいつくりだ。この二大は、スピードを重視した車でレースにもよく出る。しかし、二人乗りで、乗り心地は悪いそうだ。
このような車は、コレクターやお金持ちの人、レーサーに向いている。
参考にした本・サイト
- 『名車アーカイブ イタリアン・スーパーカーのすべて』(三栄書房)
- 「<自動車人物伝>エンツォ・フェラーリ(1951年)ーよくわかる 自動車歴史館 第6話ー」(Webサイト)
- 「ランボルギーニ専門館 ランボルギーニの起源と現在」(Webサイト)
他の生徒から寄せられたコメント(一部)
- フェラーリのことは、よく知らなかったけれど、この新聞を読んで知ることができました。フェラーリの創業者が、エンツォ・フェラーリだということを初めて知りました。(小5・Cさん)
- フェラーリさん性格悪すぎ、と思いました。色々裏がありそうですが、トラクターの部品を10倍の値段で売ったのは、どうしてなのでしょう。(中2・Y君)
- フェラーリの創業者がテストドライバーをしていたことに驚きました。きっとその経験がスーパーカー作りに活かされているのですね。余談ですが、のび太は、ランボルギーニを燃やしたことがあるそうですよ、笑。(講師)
このページで紹介した記事の他にも、フェラーリ本社や、好きな車種についてなど、フェラーリの魅力がたくさんつまった新聞となりました。