【生徒作品】『「撮り鉄」への願い』(高1・A君)

200系今回は、高校一年生のA君による鉄道をテーマにした意見文です。

2013年3月15日、東北・上越新幹線を約30年間走ってきた200系車両が最後の定期運行を迎えた際、東京駅22番線ホームには約2千人の人だかりができたそうです。団子っ鼻の懐かしい姿の新幹線が、たくさんの人々に愛されてきた車両だということがよくわかります。新聞でも大きく取り上げられるこうした鉄道のニュースを見ると、鉄道への関心は一部のファンに限らないものであるといえそうです。私たちの生活を支える鉄道について、A君がどのような視点で主張をするのでしょうか、お楽しみに。

作品紹介

「撮り鉄」への願い
高校一年 A君

鉄道ファンとは?

鉄道は現在の日本人にとって無くてはならない交通手段の一つである。日本人の技術の結晶であり、誇りでもある。

こうした鉄道を愛好している人々のことを世間では「鉄道ファン」と呼ぶ。

では「鉄道ファン」といって皆さんは何を思いつくだろうか?

乗ることを目的とした「乗り鉄」、駅のアナウンスや車両の音などを録音する「音鉄」、車両の形式や編成、装置などのことが好きな「車両鉄」・・・などなど鉄道ファンの中にも様々なジャンルがある。

かくいう僕も鉄道模型を集め、走行させて楽しむ「模型鉄」、そして鉄道の写真を撮る「撮り鉄」でもある。

問題視されている「撮り鉄」のマナー

さて、ここ近年、「撮り鉄」によるマナーが低下しており度々問題とされている。

例えば、車両を完璧に撮影したいがために線路内に侵入し、その路線を遅れさせてしまったり、撮影に邪魔になる木を勝手に切断したりと様々な問題が提示されている。特に、列車の運行に悪影響を及ぼすことは、多くの利用客にも迷惑がかかり、更には社会全体に経済的な損失をもたらす。

こうした問題に対し、鉄道雑誌のホームページには以下のような記事も掲載されている。

このところ、一部の心ない撮影者による危険な行為や、他人に迷惑を及ぼす行為が社会的に問題視されています。

特に、2月15日朝刊の新聞紙上に報じられた、「団体臨時列車の撮影目的で線路内へ侵入した鉄道写真撮影者により、列車の運行が30分も抑止される」とのニュースには、編集スタッフ一同が大きなショックを受け、危機感を深めたしだいです。

線路内に立ち入ったり、他人の家屋や敷地に立ち入っての撮影などは犯罪行為です。これらの行為は社会の一員として決して許されることではありませんし、本誌でも、そうした危険な行為や周囲に迷惑をかける行為を経て撮影したと思われる写真は今後とも掲載しない方針です。

また、本誌ではこの機会を捉え、こうした問題解決の一助になるよう、鉄道写真を撮影する際に守るべきマナーやルールを取り上げた記事も企画中です。みなさまも社会の一員としての自覚と責任を持って鉄道趣味を愛されるよう、本誌からもお願いを差し上げるしだいです。(月刊「鉄道ファン」編集部)

このような記事が鉄道ファン向けの雑誌にも掲載されるようになるぐらいの問題となっているのである。そこで、今回は「撮り鉄」のマナーについて考えていきたいと思う。

原因1 鉄道ファンの増加

ここ近年、男性の鉄道ファンだけに限らず、女性の鉄道ファンの「鉄子」、そして女性鉄道アイドルまで誕生している。

このような女性鉄道ファンの増加は、ここ数年における鉄道業界への女性の進出が、女性が鉄道に馴染みやすいきっかけになっている為であると推測される。例えば、JR東日本は1987年当初、女性社員の割合が医療系を中心にたったの約0.8%の660人しかいなかった。だが、それに対し、2012年時点では社員数全体の約7%にあたる、4710人の女性社員が働いている。これは平均すると毎年160人前後増加していることとなる。

現在鉄道ファンが社会に認められてきていることは、大変喜ばしいことである。だが、その一方で、問題行動をする人たちも一緒に増加しているのではないかと、私は思う。例えば、1000人の鉄道ファンの内1%の10人が問題行動をとったとしてもさほど問題にはならない。だが、これがもし1000万人の1%の10万人の人たちが問題行動をとると、深刻な社会問題になってしまうだろう。

つまり、同じ割合でも分母が大きくなると、自然に分子も大きくなる。するとそこから生まれてくる問題は、見過ごせないものになってしまうということである。

今までも問題行動する人たちがいたと思われるが、それほど多くなかったために問題視されていなかったのだと私は考える。

原因2 引退車両の増加

ここ近年、車両の老朽化に伴い、国鉄型の車両が引退してきている。そして引退するにあたって鉄道ファンの中にもう今後見ることのできない貴重な存在という考えが生まれ、多くの人々が最終列車の見送りに訪れている。

例えば、2013年3月16日のダイヤ改正で引退してしまった200系新幹線の最終列車には約2千人が最後の勇姿を一目見ようと東京駅に押し寄せた。

鉄道ファンは、その時しか撮れない車両を撮影したいという考える時、自分のことしか見えなくなってしまうのではないか。つまり、他人の迷惑を顧みなくなってしまうのである。

主張

鉄道写真は、本来は鉄道に関するものを楽しんで撮るものである。現在のように、違反をしてまで撮るものではない。なぜなら、迷惑行為をすることによって周りの人々にも迷惑をかけ、結局自分も損害賠償を請求されたり、自らも事故に遭ったりする危険性もあるため、楽しくなくなってしまうからである。

では、どうしたらこれらの問題が解決できるのだろうか?

より法律を明確に掲示すべき

これら問題に対して私は、法律をより明確に掲示し、度が過ぎると違反になるということをもっと知らせるべきだと考える。

現に、これは鉄道ファンに限ったことではないが、最近、座席のシート切りが問題となっている。これは、車両の座席を刃物などで切る迷惑行為である。この問題をなくすために、西武鉄道では、シート切りは犯罪であり、刑法第261条により罰せられるということを明示したシールを車両の座席付近に貼っている。

同様に現在、列車撮影を目的とする駅構内や線路付近の利用・立ち入りによる迷惑行為を罰する法律は次のようなものがある。

刑法第125条 鉄道若しくはその標識を損壊し、又はその他の方法により、汽車又は電車の往来の危険を生じさせた者は、2年以上の有期懲役に処する。

したがって、撮影などによる問題も刑法125条で罰せられるということを明確にして、様々な場所に掲示すべきだと考えている。

なぜなら、多くの人が掲示を目にすることによって、何か問題行動を起こすと罰せられるということを撮影者も理解し、問題行動をする人が減ると考えるからである。

人が写り込んでこその鉄道写真

また鉄道写真を撮影する人たちは、撮影の際に人が写り込んでしまっても構わないという考えを持ったらいいのではないかと私は考える。なぜなら、こうした考えを持つことによって、人が写らないようにするために、ホームで身を乗り出して写真撮影をする人が減り、鉄道の運行に支障が出ることを防止できるからである。

確かに、車両だけを捉えるのも鉄道写真だが、私は、人、風景などを入れた写真が本当の鉄道写真だと考えている。なぜなら、人が利用してこその鉄道だからだ。鉄道を利用する人々を撮影することによってその路線が利用している人々たちにとってどんな存在であるかが一目でわかる。例えば、駅のホームで人々が乗降する風景を撮ることによって、その路線の乗客がこの駅をどれだけ利用していたかが分かる。また、日本の鉄道をどのような人が利用しているかを説明したり、時代による暮らしや文化の違いなどを証明したりするものにもなる。

まとめ

人は好きなことをしていると自分のことしか考えられず、周りが見えなくなってしまいがちである。そうした時に、他人に迷惑をかけてしまっていることがある。そしてこうしたケースは、少ないうちは見過ごされていても、増えていくと今回の「撮り鉄」のような社会問題となってしまう。

このように大きくなってしまった問題に対しては、人々全体の意識を変えていくことが必要である。その為に、この文章では人々を守るためのルールを確認し、問題となっている行動の意味や価値を見直した。

私は、鉄道写真は日本人の暮らしそのものを写したものであると考えている。私達の暮らしている証として今後鉄道写真が撮影され続ける事を願っている。

この記事を書いた人: リテラ「考える」国語の教室

東京北千住の小さな作文教室です。「すべて子どもたちが、それぞれの人生の物語を生きていく力を身につけてほしい」と願いながら、「読む・書く・考える・対話する」力を育む独自の授業を、一人ひとりに合わせてデザインしています。

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カテゴリー: 生徒作品

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