今回は、この教室のカリキュラムの中で、小学校中学年を目安に教育課題となる「書き言葉の習得」についてご紹介します。
中学年の発達段階
小学三年生くらいになってくると、子どもたちは少しずつ社会性を帯びていきます。自分と異なる他者を意識し、その他者との交流の中で自分のありようを位置付けていく最初の段階を迎えるのです。
たとえば遊びのレベルでは、思い思いの遊具を使ってばらばらに遊ぶような段階から、サッカーなどあるルールのもとに集団で遊ぶような遊び方に変化していきます。
言葉についても、時と場合に合わせた言葉遣いがあることや、話し言葉と書き言葉では使い方が異なることを経験的に理解し始めます。
書き言葉の習得には環境が必要
しかし、きちんとした書き言葉を使えるようになるためには、話し言葉と違って、そのための学習環境の整備が重要です。
子どもたちの多くは就学前期までに話し言葉を使えるようになります。話し言葉の使用は、周りの大人たちとコミュニケーションをとり、自分の欲求を達成するために必要不可欠であるため、自然と学び、身につけていくものです。子どもたちは、日常的に大人たちとの会話を通して、話し言葉に浸され、聞き慣れ・話し慣れていくのです。
しかし、書き言葉はそうはいきません。その時期の子どもたちにとって言葉を介したコミュニケーションは、そのほとんどが対面で行なわれます。そのため、子どもたちの生活の中で必然的に書き言葉を使用する機会というのは、大人たちが意図的にそうした環境を用意しなければなかなか生まれません。
そのため、書き言葉の習得には、話し言葉と同じように、それに浸る場=読み慣れ・書き慣れる環境が必要なのです。
書き言葉と話し言葉の違い
最近では学校の教育現場でも書き言葉が注目されるようになり、指導が意識されつつありますが、作文指導などでつい大人が言ってしまいがちなのが「話すように書きなさい」というようなセリフです。
しかし、書き言葉とは、話し言葉をそのまま書き写せばいいかというとそうではありません。
話し言葉、つまり対面の会話では、状況に依存し、ジェスチャーを交えながら言いたいことを断片的に発言するだけでも、聞き手がそれを汲み取り、足りないところを問い返しながら、コミュニケーションを成立させていきます。
しかし、書き言葉ではそうはいきません。書き言葉では、文法上のルールにのっとって書くことや、聞き手にとって自明ではない前提条件についてきちんと説明する必要があります。たとえば、「いつ、どこで、だれが、何をしているとき」の話題なのかをはっきりさせる、ということなどです。
つまり、書き言葉を学ぶことは、状況を共有しない他者へ向けて発信するということであり、書き手は自分の中に読み手を想定し、その読み手に情報がきちんと伝達するような形式と内容を盛り込まねばなりません。他者を意識すること、それが書き言葉に重要なのです。
楽しみながら、書き言葉に慣れる
子どもたちが話をする場合、多くの場合、その場の状況に合わせて無自覚に会話をしています。その場の状況と密接に関係しながら使用している場合、たとえば主格の助詞「が」と「は」をどのように使い分けているのか、ほんとんど意識をすることはないでしょう。こうした違いを説明することは大人でも難しいものです。こうした文法上のルールに自覚的になるのは、12才ごろからといわれています。
したがって、小学生段階の作文の指導で重要なのは、楽しみながら正しく読み慣れる、書き慣れるということです。どんどん書いているうちに、自然と書けてしまうということがこの時期の学びとして自然な学習方法なのです。
そのためには、子どもが思わず書きたくなる、読みたくなる環境や、状況に応じた適切な指導ができる環境を作ることが重要なのです。
読んでいるもの、書いているものを、またその喜びを共有したり、それらに反応したりする他者の存在があることで、子どもたちの取り組みはいきいきとしたものになります。ですから、読んだり書いたり考えを述べ合ったりするときには、友人や家族や先生の存在が大切なのです。こうした存在があることで、子どもたちは、自分一人だけではできないことをできるようにしてしまうのです。
再現する
書き言葉の習得において、構文の作り方といった文法や書き言葉らしい語句の選択や言い回しを身につけることはもちろんですが、思考の発達という点で特に重要なのは、他者を意識すること、すなわち客観的なものの見方を獲得することです。
教室では具体物を観察し、作文するという授業があります。たとえば、鉛筆を観察するとき、その形や大きさを説明します。ある生徒は、鉛筆に自分の人差し指をあて、鉛筆は人差し指三本分の長さ、と表現しました。別のある生徒は、机の上に置かれた定規に目をつけた生徒は20cmと書きました。
どちらも鉛筆の長さを他者へどうつたえようかと考えた結果の説明です。鉛筆の特徴をその生徒なりに言いかえたものなので、講師は大きな花まるをつけます。
しかし、どちらがより客観性の高い表現かというと、それは後者です。客観性の高さとは、再現性の高さとも言い換えることができます。
ためしに、両者の作文をもとに、何人かに鉛筆の絵を描いてもらえばわかりやすいでしょう。指の長さは一人一人違いますから、前者の生徒の作文で描いた鉛筆の長さは大人が書けば長くなりますし、その生徒より年少の子が描いたら短くなるかもしれません。
つまり、書き言葉を使えるようにするということは、「共通の言葉のものさし」を使えるようにするということなのです。
脱文脈化する
書き言葉の獲得は、専門的にいえば、脱文脈化するとも言い換えることもできます。その場の状況に依存せずに、表現内容を伝えるということです。
あるものの価値について、自分と異なる立場の人に説明するとき、自分だけが知り得ているさまざまな前提条件を誰の目にも明らかにすることが必要です。自分の置かれた「文脈」から脱け出し、聞き手や読み手と共同の文脈を再構築する必要があるのです。
それは、やがて子どもたちが大人になり実社会で生きるときには、ほとんど必要不可欠の能力といって良いでしょう。
新しく生み出した商品やサービスの価値を消費者やクライアントに紹介するとき、学校や会社における問題点やその深刻さについて、それに気がついていない人に呼びかけるときなど、新しい価値を生み出したり問題解決を図るときには必須の能力といえます。
以上のような場面には、新しい価値や商品そのものを生み出す創造的な能力や、情報を整理し筋道立てて説明する論理的思考力などさまざまな力を総合した力が求められますが、書き言葉を正しく使う技術は、こうした能力の重要な基礎に位置しているのです。
では、次回はその書き言葉を育む場として機能する「多読する―中学年の読書」についてご紹介します。