実体験をことばにする大切さ

直接体験

突然ですが質問です。
あなたには今、何が見えていますか?

こんな質問をされて、「何を当たり前なことを聞いているのだろう、パソコンのディスプレイに決まっているじゃないか」と訝しく思う方もいるかもしれません。
また反対に、「ディスプレイの他にもマウス、マウスパッド、お茶のボトルとコップ、窓、窓の外には隣のマンション。マンションのベランダでは、洗濯物を干している。赤いTシャツに、ジーパン……。」といった具合に、一つひとつ並べていくとキリがないと、困ってしまう方もいるかもしれません。

さてこのような質問をした理由は、今回、「五感を通して感じた実体験を言葉にすることの大切さ」についてお話しさせていただきたいからです。

そのためにまず、早稲田大学社会科学部2008年度入試問題の国語で使用された茂木健一郎さんの文章の一部を元の著作から引用したいと思います。

仕事に没入している限り、自分の目の前の空間にはさまざまなものがぼんやりと見えているだけであるが、一つひとつのものに注意を向ければ実にいろいろなものがある。原稿を書くのに用いているコンピュータの右側には、時計がある。時計の下にはなぜかつめ切りがある。朝使ってそのままになっているのだろう。つめ切りの横にはミネラル・ウォーターがある。こんな調子で、私の視野の中に入っているものを一つひとつ記述していったら、とんでもなく長い文章になってしまうだろう。これらのものは仕事をしている間、確かに私の視野の中に入っていた。現代の脳科学の専門用語で言えば、「視覚的アウェアネス」(視界の中になにかがあると気づいている状態)の中で、間違いなく把握されていた。その一方で、これらのものは、私が一つひとつに注意を向け、言葉で表されなければ、概念として定着されることはなかった。もし、私がこれらのものをその一つひとつを見て、右の文章に書き留めることをしていなかったら、仕事を終えて部屋の外に出た私の記憶の中から、これらのものの存在はすっかり消えてしまっていたことだろう。

私たちは、視野のなかに見えているさまざまなものを、その時々で「要約」して認識している。「見る」という体験は、その時々の意識の流れの中に消えてしまう「視覚アウェアネス」と、概念化され、記憶に残るその時々の「要約」という二つの要素からなる複合体なのである。

茂木健一郎 『疾走する精神: 「今、ここ」から始まる思想』 (中央公論新社、2009)76-77頁

身の回りにあふれる豊かな情報に気がつく

顕微鏡の拡大率を上げていくにつれて新たな世界がとめどなく開かれていくように、実は日常の生活の中で私たちは無限といっていい情報にさらされています。

しかし、同時に私たちはその情報を無意識に選別し、必要な情報だけを読み取り、理解しています。

リテラでは、作文指導の第一段階として、まず五感に着目します。五感、すなわち視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚をテーマに、それらの感覚から得た情報をことばで表現するのです。自らの実体験をことばにする(概念化する)ということは、「視覚的アウェアネス」を「要約」することです。いいかえれば、自分だけが感じとったこの世界の有り様を、よりはっきりとした輪郭で囲んで、確かにそこにあったと実感できるようにすることです。そして、それを他人にもわかるような形に縁取ることです。

私たちの生きるこの時間と空間に、いかに豊かな情報があふれているかということに気がつくこと。それが特に低学年のうちに「五感を使った観察作文」をする目的です。

言葉にする=情報を道具にする

また、「見る」ということは、「わかること」そして「思考すること」につながっています。つまり、体験から得た情報をことばにするということは、その情報を概念化し、操作可能なものにするということです。その時、ことばは、自らの思考の道具になり、同時に他人とのコミュニケーションの道具になります。

言語技術のレッスンにおいて、その基礎として五感に着目する理由は、「ことばを使う主体は自分であるということ」、「ことばが自分の使う道具であること」を意識することなのです。ことばを手に馴染んだ道具のようにあつかえるようになるために、私たちの教室ではそうした「ことばが生まれる瞬間」が重要であると考えています。

豊かな第一次情報が、抽象的・形式的思考を支える基礎になる

さらに、五感を通して得た具体的・基本的な情報=第一次情報をことばにすることは、やがて子どもたちが成長し、より抽象的な言葉の運用段階に達した時、その抽象化を支える基礎となります。

  1. 豊かな一次情報を得ること
  2. その情報を整理・カテゴライズ・抽象化し、操作しやすい形にすること
  3. その情報を適切に操作すること

こうした一連のアクションがスムースにできる人がいわゆる「頭の回転の早い人」なのです。

この記事を書いた人: リテラ「考える」国語の教室

東京北千住の小さな作文教室です。「すべて子どもたちが、それぞれの人生の物語を生きていく力を身につけてほしい」と願いながら、「読む・書く・考える・対話する」力を育む独自の授業を、一人ひとりに合わせてデザインしています。

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カテゴリー: 教育コラム

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