【アートメチエ報告】『千住界隈の今昔』(文化教養講座)

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2014年4月5日、東京電機大学教授 石塚正英先生をお招きし、当教室のあるプティボワ―ビル一階の「Cafe kova Garden」にて、第九回千住アートメチエ文化教養講座『千住界隈の今昔』を開講しました。

また、今回より、講義後に自由にディスカッションできる「アフターセッション」を始めました。その模様もあわせてご報告いたします。

講座内容の抜粋

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足立と千住

埼玉県大宮市を中心にして、西北および南東に細長く伸びた一帯について、『続日本紀』(767年記述)に「武蔵ノ国足立郡」とあります。この一帯は、荒川、そして日光街道によって繋がり、人と物資の行き来がありました。足立区に数多く点在する氷川神社も、武蔵一の宮である大宮氷川神社と強い関わりがあります。

千住の起こりは延喜年間(901-923)にさかのぼりますが、実質的な発達は日光街道の初宿となってからと思われます。寛永2年(1625)の宿駅制の改定によって千住は日光街道の初宿に定められ、千住宿が誕生しました(明治5年廃止)。以来、人と物の行き交う活気ある場所として、千住は発展してきました。

千住界隈の今昔

講演では、ここから、佐々木勝・佐々木美智子著『日光街道 千住民俗誌 ―宿場町の近代生活― 』を底本に、獅子舞、万歳、出初め、触れ太鼓、ひな祭り、お盆、彼岸など、千住に伝わる習俗を見ていきました。現代では様々に形を変えましたが、生活に密着した伝統として、今でも地元の皆様に愛され、受け継がれています。また、千住神社や三峰信仰など、荒川流域に流れる地下水脈は、今も千住に息づいています。

江戸時代の千住宿には、ヤッチャバ(青物市場)を中心とする集散地が形成され、貸座敷を中心とすうる遊興地が広がりました。戦時中の統制令を契機にヤッチャバが移動すると、千住は物流の通過点となる傾向が増しました。現代の千住は、近代的なビル・デパートが立ち並ぶ街となりました。昭和60年には、北千住駅に壮大なビル「ウィズ」が完成し、平成24年には、東京電機大学千住キャンパスが誕生しました。一方、かつての縁日や神事を復活させようとする動きも活発であり、千住は今も人情と文化の行き交う街であり続けています。

第二部「アフターセッション」

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第二部「アフターセッション」では、グラスを片手に、参加者のみなさんと石塚先生、また、参加者同士で、様々な話に花が咲きました。様々なご職業・年齢のみなさんが、自由でくだけた雰囲気の中、互いのアイデアや問題意識などを交わしておられました。

一方向の伝達ではなく、共に学ぶ仲間として場を共有すること。アートメチエの理念である「学びの文化の醸成」に向け、私たちスタッフも思いを新たにいたしました。

参加していただいたみなさんの声

アンケートからの抜粋

  • 住まいが品川宿ということもあり、興味深くお話をうかがいました。参加者の方のお話もあり、暮らしが積み重ねられ、また、これからも続いていくであろう街の鼓動をいきいきと感じることができる時間でした。
  • 身近なお話で、47年から千住に住んでおりますが知らなかったことも多々ありました。千住であれ、どこの町にも文化が栄えるためには、人であり、人をひとつにまとめていくには神社や何か代々引き継いでいくことが大事だと思いました。三峯神社のことなど、お話ができ幸せでした。

この他にも、たくさんの声をいただきました。参加していただいた皆様、どうもありがとうございました。

次回予告

次回は、6月7日(土)19:00より、人形作家の井桁裕子さんに講演していただきます。詳細は追って告知いたします。どうぞお楽しみに。

この記事を書いた人: リテラ「考える」国語の教室

東京北千住の小さな作文教室です。「すべて子どもたちが、それぞれの人生の物語を生きていく力を身につけてほしい」と願いながら、「読む・書く・考える・対話する」力を育む独自の授業を、一人ひとりに合わせてデザインしています。

カテゴリー: 文化教養講座

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