【アートメチエ報告】第七回千住アートメチエ文化教養講座 『記号(ことば)から人間(からだ)が立ち上がる瞬間』

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2013年8月24日、フランス文学者黒木先生と演技者小沼先生をお招きし、当教室のあるプティボワ―ビル一階の「Cafe kova Garden」にて、第七回千住アートメチエ文化教養講座『記号(ことば)から身体(からだ)が立ち上がる瞬間――原著から演技者による実演まで』を開講しました。

講座内容の抜粋

文学者=ことばの専門家と、演技者=身体の専門家による講座

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今回の講座は、フランス語で書かれた戯曲を黒木先生が訳し、小沼先生が即興で演出をつけ、俳優さんたちとともに演技するというものでした。演者は、当日まで脚本が何かを知りません。その場で、場面や人間関係、心情を理解し、表現していくのです。

戯曲が脚本として書かれる過程と、書かれたものがどのような試行錯誤を経て、生身の人間の声をともなった言葉として上演されるのかが肌で感じられる公演となりました。

古典主義からロマン主義への転換となる作品『エルナニ』

フランスの大詩人・劇作家であるヴィクトル・ユーゴーの『エルナニ』という劇から抜粋した場面を扱いました。

『エルナニ』のあらすじ

16世紀のスペイン、貴族の令嬢ドニャ・ソルは山賊の若い頭領エルナニと相思相愛の仲でした。しかし、ドニャ・ソルは、老貴族ドン・リュイ・ゴメスと婚約関係にありました。さらにスペイン王であるドン・カルロスもまた、ドニャ・ソルに想いを寄せています。

ドニャ・ソル宅でのエルナニとドン・カルロスの鉢合わせ(!)、スペイン軍と山賊との武力衝突、ドン・カルロスのローマ皇帝即位、ドン・リュイ・ゴメスの反乱など、さまざまな波乱の後に、ついにエルナニは、ドニャ・ソルを妻とすることとなります。ところが、婚礼の夜、ドン・リュイ・ゴメスは、さきに取り交わした騎士の誓約を果たすようエルナニに迫ります。それは、ドン・リュイ・ゴメスが命じたらいつでも命を投げ打つというものでした。その結果、新郎新婦は毒を仰いで死に、それを見たドン・リュイ・ゴメスも自殺するのでした。

この『エルナニ』は、古典主義からロマン主義への転換点となる重要な作品です。古典主義とは、17世紀の文学者ボアローがギリシャ演劇を下敷きに作った劇における規則です。これは、王家が決めた形式あり、政治的な意味を持つものでした。

それに対して『エルナニ』は、この古典主義の脱却を企図した作品となり、上演に際し大きな波紋を呼びます。当時は政治と文化がつながっていたのです。

古典悲劇の規則

  • 一つの行為の完結を描かれなければならない
  • 一つの舞台で演じられなければならない
  • 一日の出来事でなければならない(24時間を越えてはならない)
  • 王の滑稽なシーンを描いてはいけない
  • 韻文で書かれなければならない

ロマン主義の特徴

  • 色々な場所へ舞台を移動する(屋敷・墓地など……)
  • 古典主義は劇中は24時間以内の出来事と決められていたが、ロマン主義はそれを越える
  • 王さまの滑稽な様子が描かれる

演劇は全て韻文で行われる

今回の講座のために、物語の結末の場面を翻訳した台本を黒木先生が作ってくださいました。翻訳された台本は散文で書かれていますが、本来、戯曲、特に悲劇は、常に韻文(音やリズムについて、一定の規則にしたがって書かれた文)で書かれています。そのためフランスで役者になるには、韻文を巧みに読めることが必須の条件でした。17世紀以降のフランスでは、役者達は昼に詩の朗読を、夜には演劇の公演をするのが一般的だったそうです。

そうした韻文で書かれた『エルナニ』の最後の場面を、黒木先生自身が原文で巧みに読み上げた時には、客席から拍手喝采がおこりました。

役者による実演

実際の演劇の現場においては、これまでのような文学的な規則にしばられることなく、聞き手にとって理解しやすい形になるよう、自由にテクストを変えていきます。その際、その場面における登場人物の感情を紐解いていくことが重要です。台詞の裏側には、必ず感情があります。演技者は、その感情を元に、身体を伴った言葉で表現するのです。

では、実際に小沼先生が演出をつけ、芝居を創っていく様子をご覧ください。

五場六幕

ドン・リュイ・ゴメス: 何たる恥辱!とんだ笑い者だ! 断る、早く終わらせろ。飲め。
エルナニ: 私は約束をしたのだ、果たさねばならぬ。
ドン・リュイ・ゴメス: さあ!(ヘルナニは小瓶を口に持っていくが、ドニャ・ソルがヘルナニの腕に飛びつく)
ドニャ・ソル: おぉ、まだです。お願いですから、二人とも私の話を聞いてください。
ドン・リュイ・ゴメス: 墓穴は開いており、待つことはできぬ。
ドニャ・ソル: 今しばらくお待ちください、叔父様! ドン・ジュアン! あぁ、二人とも。あなた方は本当に残酷です。私がこんなに頼んでいるのに!ほんのしばらく、それだけ、本当にそれだけなのです。最後に、この哀れな女に言わせて下さい! この胸の内を!おぉ、しゃべらせて下さい…
ドン・リュイ・ゴメス(エルナニに向って): 早くしろ。
ドニャ・ソル: お二人のせいで、私はこんなにも震えています! 一体、私があなた方に何をしたというのですか?
エルナニ: ああ! 彼女の叫び声が我が身を引き裂く。
ドニャ・ソル(腕を抱えたままで): お分かりですか、申し上げたいことが山ほどあるのです。
ドン・リュイ・ゴメス(エルナニに向って): 死なねばならぬのだ。

初見での演技

演出と演技のバリエーション

哀しい時に笑い、嬉しい時に泣く人間

私たちの心はひと通りではありません。哀しい時に笑い、嬉しい時に泣くのが人間です。紙に記されたことばは同じでも、どう読み、演じるかでその重みや意味は色合いを変えます。
本当の人間を描くには、ことばの意味よりも深い矛盾を包み、表現しなければなりません。だからこそ、私たちはことばを尽くして物語を紡ぎ、時に体を使って演じます。

真に表現するべきことは、記号では表せない。記号(ことば)から物語が浮かび上がり、そして身体をもった人間が立ち上がる瞬間を目の当たりにした私たちは、そうした思いを新たにしました。

参加していただいたみなさんの声

今回も、Cafe Kova Gardenさんが、レアチーズケーキと、コーヒー・紅茶を用意してくださいました。オレンジのレアチーズケーキのさわやかな風味に、ひととき夏の暑さを忘れて、講座に参加することができました。

アンケートからの抜粋

  • 言語と演劇というまさに興味のど真ん中にあるテーマでした。ものすごく楽しめました。テキストから演劇として完成するまでの過程を間近で、しかもプロの役者の方々の演技を観ることができたのは貴重な体験でした。ありがとうございました。
  • とてもおもしろかったです。個人的に舞台を観るのがすきなので興味深かったです。歴史に関する説明(皇帝と国王の違いなど)は世界史を学んだことがない方にとっては、かなり難しかったかなぁと思いました。講義+実践の形で見られたこともとてもよかったです。
  • 今まで意識の外にあった世界の扉をまた一つ開け、少しのぞかせて頂きました。言葉は人が使うもの、文字を読むだけでなく声を出して読むことで違う味わいが生まれる……学生の頃、現代国語で触れた時よりも生々しく命をふきこまれた言葉のすばらしさ、人のもつ力のすばらしさを体験させて頂きました。はじめは難しい内容でしたが、少しずつひきこまれ、場に溶け込めている自分に気づき、びっくりしています。次回も楽しみにしています。
  • 役者さんたちがしばいをするところを聞くのがおもしろかったです。(小5)

この他にも、たくさんの声をいただきました。参加していただいた皆様、どうもありがとうございました。

この記事を書いた人: リテラ「考える」国語の教室

東京北千住の小さな作文教室です。「すべて子どもたちが、それぞれの人生の物語を生きていく力を身につけてほしい」と願いながら、「読む・書く・考える・対話する」力を育む独自の授業を、一人ひとりに合わせてデザインしています。

カテゴリー: 文化教養講座

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